第二次ボーナス規制の制定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 23:26 UTC 版)
「1952年のメジャーリーグベースボール」の記事における「第二次ボーナス規制の制定」の解説
5年前に定められた契約金6,000ドル以上の新人選手(高額な契約金で入団した新人をボーナス・プレーヤーと呼んだ)を対象とした第一次ボーナス規制は実効が伴わず、1950年に廃止されたが、この年に新たに「4,000ドル以上の契約金で入団した新人選手は公式戦のベンチに入る25名の中に、2年間連続して加えなければならない」とする第二次ボーナス規制が定められた。要は高額な契約金で入った新人選手は、いきなりメジャーリーグにデビューさせてしかも2年間そのままベンチにいなければならない、とするものでこれで高騰する新人の契約金を抑えることを目的としたものであった。しかし実際は効果はなくその後も8万ドル、8万5,000ドル、15万ドルと契約金の高騰を抑える効果は無かった。しかもデビューして2年間はメジャーリーグのベンチにいなけらばならないとすると、その間にファームでじっくりと教え込むことも無く、経験を積ませて成長を見る余裕もなく、この期間にドジャースに入団してこの規則があるためにいきなりメジャーリーグのマウンドに上がりずっと投げ続けたサンディ・コーファックスは本来ならファームでじっくり育成してからメジャーデビューするはずが最初からメジャーのベンチにいたために必要なことを教わらずに6年間も中途半端な位置に置かれた。この規制は1958年に再び廃止された。
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