竹林院 (奈良県吉野町)とは? わかりやすく解説

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竹林院 (奈良県吉野町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/28 14:15 UTC 版)

竹林院
玄関と宿坊
所在地 奈良県吉野郡吉野町吉野山2142
位置 北緯34度21分37.9秒 東経135度51分47.0秒 / 北緯34.360528度 東経135.863056度 / 34.360528; 135.863056座標: 北緯34度21分37.9秒 東経135度51分47.0秒 / 北緯34.360528度 東経135.863056度 / 34.360528; 135.863056
山号 常楽山
宗派 単立
本尊 不動明王蔵王権現役行者弘法大師
創建年 推古天皇
開基 聖徳太子
札所等 役行者霊蹟札所
文化財 紙本墨書慶長十九年五山衆試文稿(重要文化財)
法人番号 9150005007686
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群芳園入口

竹林院(ちくりんいん)は、奈良県吉野郡吉野町吉野山にある単立の寺院。本尊は不動明王蔵王権現役行者弘法大師大峯山寺の護持院の1つである。宿坊竹林院群芳園で知られる。

歴史

寺伝によれば、聖徳太子が開創して椿山寺と号し、その後弘仁年間(810年824年空海が入り常泉寺と称したという。1385年至徳2年/元中2年)に竹林院と改められた。戦国時代の院主尊祐は弓道に優れ一派をなした。明治初年の神仏分離に伴い1874年明治7年)廃寺となったが、その後天台宗の寺院として復興、第二次世界大戦後の1948年昭和23年)現在の修験道系統の単立寺院となった。役行者霊蹟札所

1981年(昭和56年)には、全国植樹祭のために奈良県に行幸した昭和天皇の行在所になった[1]

群芳園

大和三庭園の一つとされる回遊式庭園千利休の作、細川幽斎の改修と伝わる。

文化財

  • 重要文化財 - 紙本墨書慶長十九年五山衆試文稿
  • 木造童形神坐像(伝聖徳太子坐像)

脚注

  1. ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、151頁。ISBN 978-4-10-320523-4 

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