竹林院氏とは? わかりやすく解説

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竹林院氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/06 16:26 UTC 版)

竹林院氏(絶家
本姓 藤原北家閑院流西園寺庶流
家祖 竹林院公明か
種別 公家武家
出身地 山城国葛野郡北山
主な根拠地 伊予国宇和郡深田村
著名な人物 竹林院公親
竹林院公義
凡例 / Category:日本の氏族

竹林院氏(ちくりんいんし)は、日本氏族のひとつ。中世伊予西部を領した氏族本姓藤原氏藤原朝臣)。家系閑院流西園寺家の支流にあたる。深田殿竹林院氏の名は、深田村を領知したことに始まる。深田村の地域は、鎌倉時代以来西園寺家荘園である宇和荘の一部であり、竹林院氏は西園寺家の一族で、その宇和荘の代官として同荘に入部し土豪化した。そして自ら武力を備えて国侍となり、後に戦国の一領主となった[1]

概要

深田殿竹林院氏は西園寺実兼の子・公衡の別号である「竹林院」を姓としたものである。『公名公記』は竹林院、「河野文書」は竹林寺、『清良記』は竹林院寺と記しているが、京都西園寺家の西園寺公名が表記した「竹林院」が正しい姓であると考えられる[2]

竹林院氏の宇和荘入部は『吉田古記』によると、西園寺公衡の末裔である竹林院右衛門佐公明は南北朝時代末の永徳元年(1381年)に入部しており、翌2年(1382年)に山室に勧請していた大本大明神を山麓に遷している。室町時代の竹林院氏は宇和荘内における西園寺御三家の一員として相当の勢力を持ち、その名は幕府も把握していた。永享11年(1439年)春に大和国越智氏が反乱を起こした際(大和永享の乱)には、公明の孫の世代に当たる竹林院公親は幕府から進発することを命ぜられ、軍勢を率いて参戦した。大和国への出陣の幕命は、伊予国守護河野教通に発せられ、公親に対する出動命令も幕府の奉行人奉書に併記されている。5月3日に出兵した公親は、翌12年(1440年)6月5日に大和国から帰陣して上洛した。『後艦』所収の『公名公記』の記事は、「七条迎、立間中将、竹林院等、一昨日自和州上洛云々」と記している。その後、公親は暫く京都に滞在して西園寺本家の公名に初伺候した。嘉吉元年(1441年)に嘉吉の変が発生すると、公親は再び幕命を受け、赤松氏の領国である播磨国へ進発し、河野教通の軍に加わって赤松満祐の籠城する木山城を攻略した[3]

以降の竹林院氏は、室町時代後期から戦国時代初期まで当主が不明であり、活動内容を知ることができない。この間、嘉吉3年(1443年)6月には立間中将西園寺公広が宇和荘の代官職に補任されており、それ以後松葉殿西園寺氏の知行分を除く宇和荘を支配したことによって、竹林院氏の支配権が縮小されていったと考えられる。最後の当主は竹林院右衛門佐実親である。元亀元年(1570年)8月には土佐一条氏の軍勢が深田領の一の森城を攻めるに及び、実親の父・竹林院公義は人質を出して軍門に降り領地の保全を図った。西園寺公広はこれを咎め竹林院氏の改易を命じた。そこで実親は元亀2年(1571年)に本領を土佐国に逃れた。その後は一条氏の庇護を受けて幡多郡下山に居住していたが、天正2年(1574年)に西園寺氏から許されて深田の一の森城に帰城した。帰城後の実親は長宗我部氏軍の侵攻に遭い敗れ、天正11年(1583年)には和議を乞うた。同13年(1585年)に豊臣秀吉四国攻めが行なわれ、領地を没収されて没落した[4]

領地

  • 吉藤郷
    • 内深田村・吉波村・是延村・瀬波村

脚注

注釈

出典

  1. ^ 須田武男『中世における伊予の領主』(須田武臣、1978年)
  2. ^ 須田武男『中世における伊予の領主』(須田武臣、1978年)
  3. ^ 須田武男『中世における伊予の領主』(須田武臣、1978年)
  4. ^ 須田武男『中世における伊予の領主』(須田武臣、1978年)



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