立木正夫とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 立木正夫の意味・解説 

立木正夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/24 05:10 UTC 版)

たちき まさお

立木 正夫
生誕 1941年3月31日
日本岡山県高梁市
死没 2018年8月6日(77歳没)
日本東京都
国籍 日本
出身校 東京大学法学部
職業 経営者
肩書き サントリー専務取締役
日本バレーボール協会(第7代)
高梁市政アドバイザー
中央酒類審議会委員
子供 学之(読み:がくじ・長男)
テンプレートを表示

立木 正夫(たちき まさお、1941年3月31日 - 2018年8月6日)は、日本の経営者サントリー取締役を経て日本バレーボール協会第7代会長となる。地元の市政アドバイザーも務めた。[1]岡山県高梁市出身[2]

経歴・人物

1941年、岡山県高梁市生まれ。地元の岡山県立高梁高等学校を卒業後、東京大学へ入学。東大では、バレーボール部に所属していた[2][3]。その後、1964年東京大学法学部を卒業し、同年にサントリーに入社した[2]

サントリーでは、1987年に取締役に就任し、宣伝担当となった。1990年には、日本マーケティングジャーナルへ「マス広告への期待」と題して寄稿している。[4]

1991年に常務を経て、2003年4月に専務に就任する。2003年6月から2011年4月までに日本バレーボール協会会長を務め、その後、2011年から2015年までに評議員を務めた[2][5]。また、この他にも日本洋酒酒造組合アルコール問題対策委員会委員長や国税庁の中央酒類審議会委員も務めた。[6]

2018年8月6日午後10時45分、都内の病院で心不全のために死去[7][8]。77歳であった。[8]

エピソード

バレーボール選手でもあった嶋岡健治は、「日本バレーボール協会の会長として協会運営、およびバレーボールの発展と普及に尽力し、2011年2月の日本バレーボール協会の公益財団法人への移行に際しても、先見性をもち、率先して組織改革に取り組んでいた。バレーボール界における立木氏の数多くの貢献に感謝している」と故人を偲んでいた。[8]

経歴

  • 1941年3月 岡山県高梁市で出生
  • 1959年3月 岡山県立高梁高校を卒業
  • 1964年3月 東京大学法学部を卒業
  • 1964年4月 サントリー株式会社入社
  • 1982年7月 マーケティング室部長
  • 1985年7月 営業企画室室長
  • 1987年3月 情報システム部長
  • 1987年6月 サントリー取締役就任(46歳)
  • 1991年1月 ビール事業部長
  • 1991年3月 常務取締役就任
  • 2002年9月 コーポレートコミュニケーション本部長宣伝事業部長・秘書・審議室担当・常務取締役
  • 2003年4月 同社専務取締役就任・コーポレートコミュニケーション本部長・秘書・審議室担当
  • 2003年6月 日本バレーボール協会会長就任(第7代)
  • 2011年2月 財団法人日本バレーボール協会を公益財団法人に移行[8]
  • 2011年4月 日本バレーボール協会会長退任
  • 2011年4月 日本バレーボール協会評議員就任
  • 2015年6月 日本バレーボール協会評議員退任
  • 2018年8月 東京都内の病院で心不全のため死去

脚注




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  立木正夫のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「立木正夫」の関連用語

立木正夫のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



立木正夫のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの立木正夫 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS