空虚な王位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/11 01:48 UTC 版)
「エドワード・ベイリャル (スコットランド王)」の記事における「空虚な王位」の解説
エドワード3世は翌1333年にスコットランドへ侵攻し、ハリダン・ヒルの戦いでスコットランド軍を破って、再びエドワード・ベイリャルを王位に戻したが、実効支配はスコットランド南部と各地の王支配下の城に限られていた。1334年にマリ伯ジョン・ランドルフ(英語版)がフランスの支援を受けてスコットランドに戻って来ると、ブルース派は勢いづき、エドワード・ベイリャルは耐えられず再びイングランドに逃亡した。1335年からエドワード3世は毎年スコットランドに侵攻したが、ブルース派は戦いを避け、エドワード3世が引き返してから再び反抗を始める状態が続いた。このため、エドワード・ベイリャルの王権は全く確立できなかった。 1337年から百年戦争が始まると、エドワード3世の関心はフランスに集中し、エドワード・ベイリャルはスコットランドで孤立した。1341年にデイヴィッド2世がフランスの支援を受けて帰国したが、1346年10月にネヴィルズ・クロスの戦いでイングランド軍に大敗し、囚われの身となった。エドワード・ベイリャルがネヴィルズ・クロスの戦いに参加したのかは不明であるが、参加していたとしても重要な役割を果たしておらず、この時点では既に利用価値を失っていたと見られている。
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