科学史としてのノーベル賞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 03:16 UTC 版)
「ノーベル賞」の記事における「科学史としてのノーベル賞」の解説
前述のようにノーベル賞の自然科学分野における受賞者は欧米の研究者を中心としており、1920年代に日本人の山極勝三郎がノミネートされた際には、選考委員会で「東洋人にはノーベル賞は早すぎる」との発言があったことも明らかになっている。また、元国連大使の松平康東は、1930年代に呉建がノミネートされた際には日本が枢軸国であったことで受賞に至らなかったとしている。欧米以外の国で研究活動を行った非欧米人では、1930年にインド人のチャンドラセカール・ラマンが物理学賞を受賞したのが最初である。日本人である湯川秀樹(1949年受賞)、朝永振一郎(1965年受賞)らがやはり物理学賞で受賞している。
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