秋田県立高等学校 (旧制)とは? わかりやすく解説

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秋田県立高等学校 (旧制)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/08 03:55 UTC 版)

秋田県立高等学校(旧制)
創立 1947年
所在地 秋田市
初代校長 野口洪基
廃止 1950年
後身校
同窓会

旧制秋田県立高等学校 (きゅうせいあきたけんりつこうとうがっこう) は、1947年9月、秋田県に設立された公立の旧制高等学校

概要

  • 1947年3月に 「B級」 と判定され、4月に校舎を焼失した旧制秋田県立女子医学専門学校の代替として、将来の医科大学設置を目標として設置された、いわゆる「戦後特設高等学校」である(A級B級判定については、旧制医学専門学校を参照)。
  • 修業年限3年の高等科 (理科のみ) を設置した。
  • 新制大学に移行することなく、1950年3月に廃校となった。秋田県における高等医学教育は、1970年に国立秋田大学に医学部が置かれるまで途絶えることとなる。

沿革

旧制秋田県立女子医学専門学校 (以下、女子医専) は第二次世界大戦中に医師速成を目的として設立されたが、戦後の1947年3月、設備不足のため B級 (存続不可) と判定された。翌4月に女子医専校舎は火災で全焼し、秋田県は女子医専の医科大学昇格を断念した。県は、将来県立医科大学を設置するための布石として、高等学校令による旧制県立高等学校を設置することにした。

  • 1947年4月26日: 秋田県立高等学校設置認可申請。
  • 1947年9月16日: 文部省により秋田県立高等学校設置認可[1]
  • 1947年10月14日: 女子医専の廃止申請 (県立高等学校設置で不要となった由)。
  • 1947年11月30日: 女子医専、廃止。
  • 1947年12月15日: 開校式、第1回入学式。
    • 第1期合格者は男子38名・女子6名の計44名 (学年定員40名)。
  • 1948年4月29日: 第2期合格者 (男子39名・女子6名) に入学許可。
  • 1950年3月31日: 秋田県立高等学校、廃止。
    • 第1期生卒業者36名。

歴代校長

  • 初代: 野口洪基 (1947年9月 - )
    • 新制秋田大学学芸学部 (現・教育文化学部) 初代学部長となった。

校地の変遷と継承

創設から廃止まで、秋田市中島町 (現・千秋中島町) の秋田県立秋田高等女学校 (現・秋田県立秋田北高等学校) の 「あげまき会館」 を仮校舎として使用した。

著名な出身者

関連書籍

  • 秋田市(編) 『秋田市史 : 第5巻 近現代II 通史編』 秋田市、2005年3月、396頁-397頁。
  • 秦郁彦 『旧制高校物語』 文春新書、文藝春秋刊、2003年12月、224頁-226頁。ISBN 4166603558
  • 秋田県教育委員会(編) 『秋田県教育史 : 第6巻通史編II』 秋田県教育委員会、1986年3月、825頁-826頁。
  • 秋田魁新報社(編) 『秋田大百科事典』 秋田魁新報社、1981年9月、24頁。

脚注

  1. ^ 文部省告示第147号 官報. 1947年09月22日

関連項目

外部リンク




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