私の鶯とは? わかりやすく解説

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私の鶯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/27 04:59 UTC 版)

私の鶯
監督 島津保次郎
脚本 島津保次郎
原案 大佛次郎
製作 岩崎昶
出演者 李香蘭
黒井洵
千葉早智子
音楽 服部良一
主題歌 李香蘭「私の鶯」
撮影 福島宏
製作会社 満洲映画協会
東宝
公開 1944年8月17日(北京)[1]
1944年9月2日(上海)[2][3]
上映時間 101分(ビデオ版)
製作国 満洲国
日本
言語 ロシア語
日本語
中国語
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私の鶯』(わたしのうぐいす、ロシア語: Мой соловей)は、1942年に製作が開始され、44年に完成した[4]満洲映画協会東宝の共同製作による映画である。大佛次郎の原案をもとに島津保次郎が脚色・監督、李香蘭(山口淑子)が主演した。ロシア革命から満州事変満州国成立にかけてのハルビン白系ロシア人社会が主要な舞台となっており、劇中の多くの部分でロシア語の会話が用いられている。現地のハルビン交響楽団も撮影に協力した。満洲・日本での劇場公開は実現しなかったが、1944年8月から翌年6月にかけて数回北京上海で上映されている[5]。1984年にプリントが再発見された[4]

キャスト

  • 満里子(マリア):李香蘭
  • 隅田(満里子の父):黒井洵
  • 悦子(隅田の妻・満里子の母):千葉早智子
  • 上野憲二(画家):松本光男
  • ディミトリー・イヴァノヴィッチ・パーニン(バス歌手、満里子の養父):グリゴリー・サヤーピン
  • アンナ・ステパーノワ・ミルスカヤ:ニーナ・エンゲルガルド
  • ラズモフスキー伯爵:ヴァシーリー・トムスキー
  • 巽(隅田の友人):進藤英太郎

スタッフ

挿入曲

  • 「私の鶯」(作曲:服部良一、日本語詞:サトウハチロー
  • 「新しき夜」(作曲:服部良一、日本語詞:サトウハチロー)[6]

劇中劇

脚注

  1. ^ 岩本憲児・晏妮編『戦時下の映画』p300
  2. ^ 『大陸新報』(上海)1944年9月1日号広告
  3. ^ 『大陸新報』(上海)1944年9月2日号広告
  4. ^ a b 『李香蘭 私の半生』
  5. ^ 『王道楽土の交響楽』p288
  6. ^ 二曲共に劇中ではロシア語歌唱

参考・関連文献

外部リンク




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