福楽寺 (鈴鹿市)とは? わかりやすく解説

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福楽寺 (鈴鹿市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 03:45 UTC 版)

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福楽寺
所在地 三重県鈴鹿市稲生塩屋2丁目-5-27
位置 北緯34度49分52.0秒 東経136度33分52.5秒 / 北緯34.831111度 東経136.564583度 / 34.831111; 136.564583
山号 東光山
宗派 高野山真言宗
本尊 薬師如来
創建年 聖武天皇724年 - 749年)の頃
開基 行基菩薩
中興年 寛文年間(1661年 - 1673年
中興 空昭律師
札所等 三重四国八十八箇所 17番札所
法人番号 2190005004323
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福楽寺(ふくらくじ)は、三重県鈴鹿市にある、高野山真言宗の仏教寺院。

概要

山号は 東光山(とうこうさん)。本尊は薬師如来

三重県の無形民俗文化財となっている、「伊奈冨神社の獅子神楽」を行うときは、当山に初奉納する習わしが、伝承されている。また、高野山の管長となった土宣法龍が、6歳のとき当寺で修行したという記録が残されている。

歴史

聖武天皇(在位724年 - 749年)が東大寺大仏を建立する際、神意奉詞のため伊勢神宮行基菩薩を遣わした。途中この地方で悪疫が流行しているのを知った行基は、薬師如来像を自ら彫刻し、開眼供養、平癒祈願を行ったところ、悪疫は平癒したといわれ、これが当山の起こりであると伝えられる。

往時は、荘厳な伽藍を有していたというが、織田信長の伊勢進攻の兵火により焼失してしまうが、幸いにも本尊は難を免れたという。

現在の本堂は、明治期に再建されたもので、本尊の薬師如来は、30年に1度開帳され、他に千手観音弘法大師各像が安置されている。

年中行事

  • 2月節分の日 - 節分会
  • 3月15日 - 涅槃図公開
  • 7月14日 - 天皇祭、火渡りまつり

近隣施設

アクセス

脚注

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  1. ^ 伊奈富神社

参考文献

  • 滝本昭二『三重四国八十八ヵ所霊場』三重四国八十八ヵ所霊場会

関連項目

外部リンク




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