福楽寺 (山口市)とは? わかりやすく解説

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福楽寺 (山口市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/15 08:11 UTC 版)

福楽寺

所在地 山口県山口市秋穂西1987
位置 北緯34度1分42.7秒 東経131度26分10.9秒 / 北緯34.028528度 東経131.436361度 / 34.028528; 131.436361座標: 北緯34度1分42.7秒 東経131度26分10.9秒 / 北緯34.028528度 東経131.436361度 / 34.028528; 131.436361
山号 医王山
宗派 真言宗御室派
本尊 薬師如来(秘仏・平安時代中~後期)
創建年 天平18年(746年
開基 行基
中興年 文明18年(1486年
中興 行順
札所等 秋穂八十八箇所 6・7・8番札所
公式サイト [1]
法人番号 8250005000401
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福楽寺(ふくらくじ)は、山口県山口市秋穂地区に所在する真言宗御室派末の寺院。山号は医王山

概要

創建は奈良時代と古く、本尊薬師如来像も平安時代中期から後期の造像[1]である。

天平18年(746年行基菩薩創建と伝わる。文明18年(1486年)行順和尚が復興。明応元年(1492年)に堂宇を再建。江戸時代中期頃の火災により本尊以外がすべて焼失し、中興六世・真龍法印が現在地に寺を移転・再復興。

福楽寺は日本陸軍の父・大村益次郎の生家の菩提寺[2]であり、明治維新期には荻野隊(長州藩諸隊の一つ、砲兵隊)の基地になり、あるいは当時の住職が勤皇僧で後に教導職であるなど、近代にも様々な活動をしていた。

また、福楽寺は山口市南部地域(福楽寺の所在する秋穂地区と隣接する秋穂二島地区)に位置する「写し四国・秋穂八十八箇所霊場」に属する寺院であり、本堂内に6・7番札所が、本堂に隣接する地蔵堂(8番札所)と合わせて境内に3つの札所がある。

脚注

  1. ^ 平成28年の福岡市博物館大津市歴史博物館調査による
  2. ^ 福楽寺には現在も両親の位牌が祀られている

参考文献

  • 秋穂町史編集委員会 『秋穂町史』 新書館、1982年
  • 田中穣 『法境秋穂』 秋穂町観光協会・秋穂町商工会青年部、1980年(1992年改訂)
  • 原田亮厳 『秋穂八十八箇所由来』 浅野本店、1954年
  • 福岡市博物館、大津市歴史博物館 『【調査報告書】医王山福楽寺』 山口市教育委員会、2017年

関連項目

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