福岡市立農業専門学校時代
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「福岡市立拓殖専門学校 (旧制)」の記事における「福岡市立農業専門学校時代」の解説
1946年2月1日: 福岡市立農業専門学校と改称。本科に農科・農業土木科・農業経済科 (学年定員計150名) を設置。 1946年2月10日: 学生大会、教育条件の改善を求める決議。名称は農業専門学校 (農専) となったが、農業系教授は 2、3人しかおらず、大半は文科系教官だった。学生大会は、(1) 専任校長任命 (2) 農科系教官増員 (3) 文科系教官退官 (4) 設備改善 の4点を要求したが、学校側が態度を保留していたため、4月25日に同盟休校に突入した。専任校長が任命され、改善計画を示したことで 6月4日にようやく解決した。 1947年2月27日: 福岡市会、農専の官立移管建議案を可決。財政難から国への移管を要望したが、すでに九州大学農学部があるため、文部省からは断られた。 1949年7月18日: 福岡市会、農専の県立移管を可決。
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