神部神社 (信州新町)とは? わかりやすく解説

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神部神社 (信州新町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/02 22:27 UTC 版)

神部神社

鳥居
所在地 長野県長野市信州新町新町1031番地[1][注 1]
位置 北緯36度34分06.9秒 東経138度00分20.9秒 / 北緯36.568583度 東経138.005806度 / 36.568583; 138.005806 (神部神社 (信州新町))座標: 北緯36度34分06.9秒 東経138度00分20.9秒 / 北緯36.568583度 東経138.005806度 / 36.568583; 138.005806 (神部神社 (信州新町))
主祭神 天照大神大国主命天忍日命建御名方命八坂刀売命天太玉命
社格 国史見在社
旧村社
別名 大伴宮
例祭 例祭10月11日、祈念祭4月28日、新嘗祭10月25日、祇園祭7月7日
地図
神部神社
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神部神社(とものおじんじゃ、みわのべじんじゃ)は、長野県長野市信州新町新町1031番地[1]にある神社で旧上水内郡新町の産土神。神紋は左巴、楮の葉。

概要

創立年月は不明。『日本三代実録貞観8年(866年)2月7日条によると、信濃国水内郡三和神・神部神に忿恕の心があり兵疾の禍を起こそうとしたと神祇官が朝廷に奏上したため、勅命によって国司・講師が幣を捧げて金剛般若経1000巻と般若心経10000巻を転読し、神の怒りを和らげたという[3]

口伝によると大伴氏の祖・天忍日命を祀ったのが始まりとされ、大伴宮とも呼ばれた。貞観8年(866年)2月7日に大国主命などが合祀され、慶長6年(1601年)2月に大久保長安によって1石が寄進され、松代藩真田氏によって免税された。寛保年間の犀川氾濫によって伝来した文書が消失し、寛政元年(1789年)8月4日に吉田家の許可を得て神部神社へと改称した(それ以前の名称は不明)[4]

社殿

脚注

注釈

  1. ^ 合併前の所在地表示は上水内郡信州新町大字新町字宮ノ越沖1031[2]

出典

  1. ^ a b 神部神社の情報”. 法人番号公表サイト. 国税庁 (2015年11月6日). 2025年8月3日閲覧。
  2. ^ 神社紹介 上水内支部”. 長野県神社庁. 2025年8月3日閲覧。
  3. ^ 上水内郡誌編集会『長野県上水内郡誌 歴史編』284頁(上水内郡誌編集会、1976年)
  4. ^ 長野県上水内郡神社誌編纂委員会編『長野県上水内郡神社誌』160頁(長野県神社庁上水内支部、1963年)

外部リンク




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