神明神社_(中津川市苗木)とは? わかりやすく解説

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神明神社 (中津川市苗木)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/29 01:08 UTC 版)

苗木神明神社
所在地 岐阜県中津川市苗木1112-1
位置 北緯35度31分59.1秒 東経137度27分58.0秒 / 北緯35.533083度 東経137.466111度 / 35.533083; 137.466111 (神明神社)
主祭神 天照大御神、伊邪那岐命、事解男命他
社格 郷社金幣社
創建 平安時代
例祭 9月17日
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苗木神明神社(しんめいじんじゃ)は岐阜県中津川市苗木に鎮座する神明神社。旧郷社。旧称は熊野神社

祭神

主祭神

天照大御神伊邪那岐命、事解男命、大国主命、速玉男命、火産霊神、豊受大神伊邪那美命、菊理姫命、少彦名命、宇迦御魂命、誉田別命、天児屋根神、菅原神、八意思兼神、忌部神、大己貴神、木花佐久弥姫神、

摂末社祭神

平田篤胤大人、本居宣長大人、荷田春満大人、賀茂真渕大人

例祭

  • 宵宮 9月16日  祭典 午後5時
  • 本祭 9月17日  流鏑馬神事 午後13時、祭典 午後14時

流鏑馬神事が畢わると、二町(218m)離れた拝殿に 石畳の参道を参進して本祭を行う。

参道には、鶴・亀・勾玉・臼と杵・鯉の滝登り・扇等の形をした自然石の模様の石畳が敷き詰められている。

又、苗木藩主であった遠山家より出た絵図面に基づいて再現された「風流おどり」や「井汲獅子」の奉納も行われる。    

歴史

創建不詳であるが、木曽義仲により勧進されたとの伝承が残るため、平安時代に遡ると考えられる。

応永24年(1417年)に、苗木郷 室住村の室住正景[1]が、苗木遠山氏再興祈念に、大般若波羅蜜多経600巻を神明神社の前身である十二所権現に奉納している。

(巻第一百) 奉施入 十二所権現 寶前 室住正景 濃州 恵那郡 遠山庄 苗木郷 室住村 奉擢写 寄進 此 大般若 全部六百巻 之旨趣者、夫當家先祖 宗[2]敬之霊社 遠山一黨 信仰之 般若而己、依之神殿 奉納眞文 社頭法樂之 龜鏡也、雖然、及中絶 断失時剋 爰正景、爲神恩 爲二世、欲祈禱念 末孫、今尚此時、續再興運、微力奉擢 写奇量也、仍神霊憎威光、檀那成所願、重乞善躰編、法界悉地満、胸中意趣、大概如ㇾ期 應永廿四 天酉丁 十二月日 信心大檀那 室住正景 (花押)

大般若波羅蜜多経は、その後、かつて坂下に存在した西方寺に移され、現在は木曽郡大桑村定勝寺が所蔵している。

文明5年(1473年)10月、足利義政の命により木曽谷から木曾家豊伊那谷から松尾小笠原氏の小笠原家長恵那郡に侵攻した[3]。その後数十年間、苗木遠山氏は木曾氏と松尾小笠原氏の傘下に置かれた。

大永4年(1524年)3月、松尾小笠原氏の代官であった高柴景長が、神明神社の造営を行ったことを記した棟札が残っている。

大永6年(1526年)に苗木城が築かれた際に現在地に遷座し、その護りとして苗木遠山氏から厚く崇敬され、社殿や神宝を奉納されている。

天文3年(1534年)、松尾小笠原氏の小笠原定基は、府中小笠原氏の小笠原長棟によって松尾城を攻められて、小笠原定基は甲斐の武田氏のもとに逃れ、遠山氏は大部分の旧領を回復したものの、下条時氏に恵那郡の落合村と湯舟澤村を占領された。

慶長15年(1610年)、家康が駿府城を再建した際には、苗木藩初代藩主の遠山友政を奉行とした。

友政は、普請用の材木3千余本を福岡村の東山から伐出して用に充てた。

これにあたり友政は、神明社と福岡村の天王社に祈願を込めた。

駿府城の再建が無事に終了した後に、この2社に感謝して修築し神田3反歩を献じている。

延宝7年(1679年)9月16日、四代藩主の遠山友春が神明宮の鳥居を奉献。

享保8年(1723年)9月9日、六代藩主の遠山友将が社殿を改築している。

安永3年(1774年)、九代藩主の遠山友清備前国長船の名工、長光門下の刀匠の1人であった近景作の太刀を奉納した。

寛政5年(1793年)、5月吉日、十一代藩主の遠山友寿が、奉造営。

文化8年(1811年)9月吉祥日に、遠山友寿が、春再営。

文久2年(1862年)6月、十二代藩主の遠山友詳が、二之鳥居を一宇、奉再営。

明治2年(1869年)に苗木藩の廃仏毀釈が行われると、祖先の慰霊を行うために末社として祖霊社が設けられた。

かつて湯立神事が行われていたが、明治に廃された。

指定文化財・天然記念物

国指定有形文化財

  • 太刀 銘 備前国 長船 住 近景 (たち めい びぜんのくに おさふね じゅう ちかかげ)

長さ72.5cm 反り1.8cm 鎌倉時代 指定年月日:昭和3年(1928年)4月4日

現在は、中津川市苗木遠山史料館にて保管されている。

中津川市指定天然記念物

  • 神明神社の大スギ

目通6.5m、樹高9.2m 指定年月日:昭和46年(1971年)10月28日 

樹齢は判明しないが、寛文2年(1662年)8月、落雷のため樹幹頂点から裂傷したといわれ、当時既に相当の老木であったと推定される。

外部リンク

参考文献

  • 『中津川市史 中巻Ⅱ』 第八章 寺社 第一節 神社 三 近世の神社 神社名の変更 p1602~p1605 中津川市 1988年
  • 『恵那郡史』 加藤護一 編 p601~p602 大正15年

脚注

  1. ^ 苗木遠山氏
  2. ^ 崇の誤字
  3. ^ 『11月21日付小笠原左衛門佐宛細川政国書状』



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