神明神社 (中津川市苗木)
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苗木神明神社 | |
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所在地 | 岐阜県中津川市苗木1112-1 |
位置 | 北緯35度31分59.1秒 東経137度27分58.0秒 / 北緯35.533083度 東経137.466111度 |
主祭神 | 天照大御神、伊邪那岐命、事解男命他 |
社格等 | 旧郷社・金幣社 |
創建 | 平安時代 |
例祭 | 9月17日 |
苗木神明神社(しんめいじんじゃ)は岐阜県中津川市苗木に鎮座する神明神社。旧郷社。旧称は熊野神社。
祭神
主祭神
天照大御神、伊邪那岐命、事解男命、大国主命、速玉男命、火産霊神、豊受大神、伊邪那美命、菊理姫命、少彦名命、宇迦御魂命、誉田別命、天児屋根神、菅原神、八意思兼神、忌部神、大己貴神、木花佐久弥姫神、
摂末社祭神
例祭
- 宵宮 9月16日 祭典 午後5時
- 本祭 9月17日 流鏑馬神事 午後13時、祭典 午後14時
流鏑馬神事が畢わると、二町(218m)離れた拝殿に 石畳の参道を参進して本祭を行う。
参道には、鶴・亀・勾玉・臼と杵・鯉の滝登り・扇等の形をした自然石の模様の石畳が敷き詰められている。
又、苗木藩主であった遠山家より出た絵図面に基づいて再現された「風流おどり」や「井汲獅子」の奉納も行われる。
歴史
創建不詳であるが、木曽義仲により勧進されたとの伝承が残るため、平安時代に遡ると考えられる。
応永24年(1417年)に、苗木郷 室住村の室住正景[1]が、苗木遠山氏再興祈念に、大般若波羅蜜多経600巻を神明神社の前身である十二所権現に奉納している。
(巻第一百) 奉施入 十二所権現 寶前 室住正景 濃州 恵那郡 遠山庄 苗木郷 室住村 奉擢写 寄進 此 大般若 全部六百巻 之旨趣者、夫當家先祖 宗[2]敬之霊社 遠山一黨 信仰之 般若而己、依之神殿 奉納眞文 社頭法樂之 龜鏡也、雖然、及中絶 断失時剋 爰正景、爲神恩 爲二世、欲祈禱念 末孫、今尚此時、續再興運、微力奉擢 写奇量也、仍神霊憎威光、檀那成所願、重乞善躰編、法界悉地満、胸中意趣、大概如ㇾ期 應永廿四 天酉丁 十二月日 信心大檀那 室住正景 (花押)
大般若波羅蜜多経は、その後、かつて坂下に存在した西方寺に移され、現在は木曽郡大桑村の定勝寺が所蔵している。
文明5年(1473年)10月、足利義政の命により木曽谷から木曾家豊、伊那谷から松尾小笠原氏の小笠原家長が恵那郡に侵攻した[3]。その後数十年間、苗木遠山氏は木曾氏と松尾小笠原氏の傘下に置かれた。
大永4年(1524年)3月、松尾小笠原氏の代官であった高柴景長が、神明神社の造営を行ったことを記した棟札が残っている。
大永6年(1526年)に苗木城が築かれた際に現在地に遷座し、その護りとして苗木遠山氏から厚く崇敬され、社殿や神宝を奉納されている。
天文3年(1534年)、松尾小笠原氏の小笠原定基は、府中小笠原氏の小笠原長棟によって松尾城を攻められて、小笠原定基は甲斐の武田氏のもとに逃れ、遠山氏は大部分の旧領を回復したものの、下条時氏に恵那郡の落合村と湯舟澤村を占領された。
慶長15年(1610年)、家康が駿府城を再建した際には、苗木藩初代藩主の遠山友政を奉行とした。
友政は、普請用の材木3千余本を福岡村の東山から伐出して用に充てた。
これにあたり友政は、神明社と福岡村の天王社に祈願を込めた。
駿府城の再建が無事に終了した後に、この2社に感謝して修築し神田3反歩を献じている。
延宝7年(1679年)9月16日、四代藩主の遠山友春が神明宮の鳥居を奉献。
享保8年(1723年)9月9日、六代藩主の遠山友将が社殿を改築している。
安永3年(1774年)、九代藩主の遠山友清が備前国長船の名工、長光門下の刀匠の1人であった近景作の太刀を奉納した。
寛政5年(1793年)、5月吉日、十一代藩主の遠山友寿が、奉造営。
文久2年(1862年)6月、十二代藩主の遠山友詳が、二之鳥居を一宇、奉再営。
明治2年(1869年)に苗木藩の廃仏毀釈が行われると、祖先の慰霊を行うために末社として祖霊社が設けられた。
かつて湯立神事が行われていたが、明治に廃された。
指定文化財・天然記念物
国指定有形文化財
- 太刀 銘 備前国 長船 住 近景 (たち めい びぜんのくに おさふね じゅう ちかかげ)
長さ72.5cm 反り1.8cm 鎌倉時代 指定年月日:昭和3年(1928年)4月4日
現在は、中津川市苗木遠山史料館にて保管されている。
中津川市指定天然記念物
- 神明神社の大スギ
目通6.5m、樹高9.2m 指定年月日:昭和46年(1971年)10月28日
樹齢は判明しないが、寛文2年(1662年)8月、落雷のため樹幹頂点から裂傷したといわれ、当時既に相当の老木であったと推定される。
外部リンク
参考文献
- 『中津川市史 中巻Ⅱ』 第八章 寺社 第一節 神社 三 近世の神社 神社名の変更 p1602~p1605 中津川市 1988年
- 『恵那郡史』 加藤護一 編 p601~p602 大正15年
脚注
- 神明神社_(中津川市苗木)のページへのリンク