神岡町立茂住小学校谷分校とは? わかりやすく解説

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神岡町立茂住小学校谷分校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/30 20:34 UTC 版)

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神岡町立茂住小学校谷分校
国公私立の別 公立学校
設置者 神岡町
設立年月日 1875年
閉校年月日 1963年
共学・別学 男女共学
所在地 506-1201
岐阜県飛騨市神岡町谷[注釈 1]
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神岡町立茂住小学校谷分校(かみおかちょうりつ もずみしょうがっこう たにぶんこう)は、かつて岐阜県吉城郡神岡町(現・飛騨市)に存在した公立小学校分校

概要

沿革

  • 1875年(明治8年) - 茂住学校の支校として、谷学校が開校。神岡村大字谷・大字中山の児童が通学する。
  • 1876年(明治9年) - 独立し、谷学校となる。
  • 1886年(明治19年) - 谷簡易科小学校に改称する。
  • 1889年(明治22年)7月1日 - 神岡村が分割され、船津・朝浦・東町・鹿間・割石・吉ヶ原・二ツ屋・西漆山・東漆山・笈破・牧・土・西茂住・東茂住・杉山・横山・中山・谷・跡津川・佐古・大多和で船津町が発足。
  • 1901年(明治34年)4月 - 茂住尋常小学校に統合され、茂住尋常小学校谷分教場となる。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 茂住国民学校谷分教場に改称する。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 船津町立茂住小学校谷分校に改称する。
  • 1950年(昭和25年)6月10日 - 船津町阿曽布村袖川村が合併し、神岡町が発足。同時に神岡町立茂住小学校谷分校に改称する。
  • 1963年(昭和38年)3月 - 廃校。谷・中山地区の児童は富山県婦負郡細入村(現・富山市)へ委託される。

脚注

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  1. ^ 現在の住所表記
  2. ^ 1984年、神岡東小学校に統合され廃校。

参考文献

  • 神岡町史 通史編Ⅱ (飛騨市教育委員会 2008年) P.228 - 232

関連項目




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