祇園・長束・山本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 03:43 UTC 版)
「祇園 (広島市)」の記事における「祇園・長束・山本」の解説
古の伊福鄕、後の安の庄の一部。安の庄は上安村(現在の上安、相田、大町)、下安村となった。寛永15年、下安村は、南下安村、北下安村に分かれる。1889年(明治22年)の大合併により、沼田郡南下安村、北下安村の2村が合併し沼田郡祇園村となる。 長束村は、昔は長塚とも書かれていたと云われる。1943年(昭和18年)まで、安佐郡長束村。 山本村は、沼田郡東山本村、西山本村。武田氏の城、金山城の下に位置したことから山本と云う。1889年(明治22年)の大合併により、2村合併し、沼田郡山本村。その後、1943年(昭和18年)まで、安佐郡山本村。 1938年(昭和13年)、安佐郡祇園村が町制を施行し、安佐郡祇園町となる。 1943年 (昭和18年) 、祇園町、山本村、長束村、原村が合併し、安佐郡祇園町となる。
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