石川名人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/14 13:46 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動石川 名人(いしかわ の なひと)は、奈良時代の貴族。官位は従四位下・武蔵守。
経歴
中務大丞を経て、天平17年(745年)従五位下に叙爵。聖武朝末に内蔵頭・少納言を歴任し、天平20年(748年)従五位上に叙せられる。天平勝宝元年(749年)孝謙天皇即位ののち上総守に任ぜられ地方官に転じ、天平勝宝6年(754年)民部大輔として京官に復す。
天平勝宝9歳(757年)藤原仲麻呂の紫微内相就任と同時に正五位下、天平宝字3年(759年)には仲麻呂子息の藤原真光・久須麻呂と同時に従四位下に叙せられるなど、仲麻呂政権の一翼を担って順調に昇進する。のち、造宮卿・武蔵守を歴任した。
天平宝字8年(764年)3月9日卒去。最終官位は武蔵守従四位下。
官歴
『続日本紀』による。
- 時期不詳:正六位上。勲十二等
- 天平15年(743年) 4月22日:見班田使判官兼中務大丞[1]
- 天平17年(745年) 正月7日:従五位下
- 天平18年(746年) 6月21日:内蔵頭
- 天平19年(747年) 5月1日:少納言
- 天平20年(748年) 2月19日:従五位上
- 天平勝宝元年(749年) 8月10日:上総守
- 天平勝宝6年(754年) 4月5日:民部大輔
- 天平勝宝9歳(757年) 5月20日:正五位下
- 天平宝字3年(759年) 6月16日:従四位下
- 天平宝字4年(760年) 正月16日:造宮卿
- 時期不詳:武蔵守
- 天平宝字8年(764年) 3月9日:卒去(武蔵守従四位下)
脚注
- ^ 『大日本古文書(編年文書)』2巻336頁
参考文献
- 石川名人のページへのリンク