石の百年館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/03 14:53 UTC 版)
![]() Inada Stone Museum | |
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施設情報 | |
専門分野 | 石材(稲田石) |
管理運営 | 笠間市 |
建物設計 | JR東日本建築設計 |
延床面積 | 143m²[1] |
開館 | 2014年3月30日 |
所在地 |
〒309-1635 茨城県笠間市稲田2307番地 |
位置 | 北緯36度22分07秒 東経140度12分51秒 / 北緯36.3685543242929度 東経140.21421263139194度 |
最寄駅 | JR水戸線稲田駅 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
プロジェクト:GLAM |
石の百年館(いしのひゃくねんかん)は、茨城県笠間市にある稲田石の博物館である。
歴史
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2014年(平成26年)3月30日に開館した。
展示
館内には世界中の花崗岩に関する展示の他、稲田石の特徴や歴史についての展示がなされている[2]。
稲田石
当館において扱う稲田石は「白い貴婦人」とも称される花崗岩を主体とした石材であり、約6000万年前に海底深くでマグマがゆっくり固結した比較的新しいものである。[3][4]稲田石は様々な場所で使用されており、東京駅や国会議事堂などでも使用されている。[4][2]
稲田石は黒雲母花崗岩がほとんどで、粒状で淡灰色の石英や純白色の長石が1/6程度含まれる白色の花崗岩である[5]。江戸時代にはすでに利用されており、明治中期から商品として広まった[5]。当時石材業の先進地であった小豆島出身の石工たちが稲田に移住して本格的な採掘が始まり、1887年(明治20年)には水戸鉄道線路敷設工事に日本鉄道から多量の受注を受けた[5]。東京に近いことから都内の多くの建造物に使われ、1897年(明治30年)から石材業が本格化、稲田は一躍「石の町」へと変貌した[5]。戦後も日本経済の好調による建設ブームとともに受注は増え続け、オイルショック以降は墓石の大量注文を受けた[5]。
脚注
- ^ “石の百年館 - 作品紹介”. JR東日本建築設計. 2014年10月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月3日閲覧。
- ^ a b “稲田石ってすごい!笠間市・石の百年館”. 茨城県観光物産協会 (2014年5月17日). 2020年3月3日閲覧。
- ^ “稲田石の特徴”. 稲田石材商工業組合. 2020年3月3日閲覧。
- ^ a b “稲田石について”. 笠間市 (2015年9月8日). 2020年3月3日閲覧。
- ^ a b c d e 茨城県笠間における稲田石産業の変遷と生産流通構造に関する研究劉逸飛ほか、地域研究年報 46 69-81, 2024-03、筑波大学人文地理学・地誌学研究会
関連項目
外部リンク
- 石の百年館のページへのリンク