真福寺 (世田谷区)とは? わかりやすく解説

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真福寺 (世田谷区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 01:32 UTC 版)

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真福寺

山門
所在地 東京都世田谷区用賀 4-14-4
位置 北緯35度37分43.2秒 東経139度38分4.5秒 / 北緯35.628667度 東経139.634583度 / 35.628667; 139.634583座標: 北緯35度37分43.2秒 東経139度38分4.5秒 / 北緯35.628667度 東経139.634583度 / 35.628667; 139.634583
山号 瑜伽山(ゆがさん)
宗旨 真言宗
宗派 智山派
本尊 大日如来[1]
創建年 天正年間
開山 法印宗円和尚[1]
開基 飯田図書[1]
正式名 瑜伽山真福寺
札所等 玉川八十八ヶ所霊場39番
法人番号 9010905000192
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真福寺(しんぷくじ)は、東京都世田谷区用賀四丁目にある真言宗智山派の寺院。

歴史

創建は天正年間。開山は法印宗円和尚で、開基は用賀村の開拓の功労者飯田図書(ずしょ)である[2]。開基の飯田図書は、後北条氏に仕えており、用賀の地に住みついた後に確実に勢力をつけて、苗字帯刀が許されたという。等々力にある満願寺の末寺で、本尊の大日如来は、奥沢にある浄真寺の住職の作だと言われている[2]

当初は実相山真如院と名乗っていたが[1]、後に瑜伽山(ゆがさん)[注 1]真福寺となり、古くから山門が赤いため「赤門寺」とも呼ばれている。

享和3年(1803年)に本堂などを焼失するが再建。

明治時代になり近隣の世田谷区立京西小学校が境内を借りていたこともあった[2]。現在の山門は昭和28年(1953年)に完成。本堂は昭和40年(1965年)頃に造られた[2]

主な施設

参道入口
  • 本堂
  • 太子堂
  • 大日堂
  • 法教上人碑(法教上人は、当地に住みついた江戸時代の僧で様々な事業により当地の人々に尊敬されていた[4]。それを顕彰する碑)

アクセス

脚注

注釈

  1. ^ 所在地の用賀の地名はこれに因んでいるという説もあるが、実は真福寺が開基される以前(鎌倉時代初期)に真言宗の瑜伽梵語ヨーガとも)の道場が開設された。用賀の地名はそれによっているという見方が支配的である。この道場跡が真福寺であるという説もある[3]

出典

参考文献

  • 世田谷区生活文化部・交流課 編 『ふるさと世田谷を語る 用賀・上用賀・中町(野良田)』、1992年。 
  • 世田谷区教育委員会 編 『せたがや 社寺と史跡(その二)』、1969年。 
  • 世田谷区教育委員会 編 『世田谷区の地名』、1989年。 
  • 「用賀村 真福寺」 『新編武蔵風土記稿』 巻ノ48荏原郡ノ10巻内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763982/14 

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