真文二分判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/03 16:43 UTC 版)
真文二分判(しんぶんにぶばん)は文政元年4月10日(1818年5月14日)から鋳造が始まり同年6月10日(7月12日)より通用開始された二分判で、裏には楷書体の「文」字が刻まれ、真字二分判(しんじにぶばん)とも呼ばれる。当時流通していた元文小判の1/2の量目であるが、品位が約14%低く出目獲得を目的とし、補助貨幣的な性格であったが、翌年発行された文政小判は真文二分判と同品位で量目が2倍であることから、文政小判発行を予告するものとなった。 二分判の発行は、80年以上に亘り流通し損傷が著しくなった元文小判を無料で引き換えるという名目でもあったが、真の目的は出目獲得にあった。 金座における鋳造手数料である分一金(ぶいちきん)は元文小判と同様に鋳造高1000両につき、手代10両、金座人10両2分、吹所棟梁4両3分であった。 通用停止は天保6年9月末(1835年11月19日)であった。
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