相模三浦氏による再興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 10:21 UTC 版)
その後、三浦氏は傍流の佐原氏の三浦盛時により再興された。盛時は宝治合戦前には既に北条時頼に懐柔されていたらしく、以降の三浦氏は御内人となって幕府内で活躍した。盛時の子の三浦頼盛は北条時輔の遺子を捕縛して幕府に引き渡している。盛時によって再興された佐原流三浦氏はやがて戦国大名の相模三浦氏となってゆく。 また、相模三浦氏の支流として正木氏が出た。正木氏は安房里見氏の家臣となった後、徳川家康に仕えた。紀州藩家老となった三浦為春、家康側室となった蔭山殿(徳川頼宣及び徳川頼房の生母)を輩出している。
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