白蓮事件と龍介
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白蓮事件から46年後の1967年(昭和42年)、添い遂げた燁子を見送った龍介は『文藝春秋』に回顧録「柳原白蓮との半世紀」を寄せた。その中で事件当時の決意の背景には、しいたげられて苦しむ者を救うという政治運動・社会主義革命といった時代の雰囲気の影響があったと述べている。そして燁子について以下のように締めくくった。 「私のところへ来てどれだけ私が幸福にしてやれたか、それほど自信があるわけではありませんが、少なくとも私は、伊藤や柳原の人人よりは燁子の個性を理解し、援助してやることが出来たと思っています。波瀾にとんだ風雪の前半生をくぐり抜けて、最後は私のところに心安らかな場所を見つけたのだ、と思っています。」 —宮崎龍介、「柳原白蓮との半世紀」『文藝春秋』昭和42年6月号創刊45周年記念号
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