白い水曜日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 20:05 UTC 版)
黒い水曜日が起こり英国がERMから離脱した際に、その日は英国にとっての屈辱だと考えられていた。だが英国経済はそこから回復したのである。ドイツマルクと為替レートを収斂させる必要がなくなり、金利はすぐに下がり、借入れコストは減少した。英国債の短期金利も危機以前は約10%台で変動していたが、約7%程度で推移するようになった。為替レートに関しても1992年には1米ドル約0.57ポンドだったものが翌年には約0.67ポンドまで減価した。 .mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{} ドイツマルクのUSドルに対する為替レート(1990年時を100とした場合) スターリング・ポンドのUSドルに対する為替レート(1990年時を100とした場合) 失業率は1993年に約10%となって以降、着実に改善し、5年後には約6%にまで低下した。実質経済成長率も1991年にはマイナス、1992年には約0%であったが、翌年には2%台にまで上昇した。その後も少なくとも2%台の経済成長は続いた。ERM離脱によって英国経済は改善したことになる。ゆえに多くの経済学者がその日を白い水曜日(White Wednesday)と呼んでいるのである。 英国の失業率(%) 英国の実質経済成長率(%) 英国の商業銀行の貯金金利(%) 英国短期国債の金利(%)
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