畑七右衞門とは? わかりやすく解説

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畑七右衛門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/21 07:08 UTC 版)

畑 七右衛門(七右衞門、はた しちうえもん、1883年明治16年)1月6日[1] - 1958年昭和33年)5月26日[2])は、日本の政治家衆議院議員(1期)。旧姓・長沢、前名・留治郎[3]。和孝に改名[2]

経歴

京都府出身[3]。長沢又三郎の六男に生まれる[3]。先代七右衛門の養子となり、1916年家督を相続して七右衛門を襲名する[3]。兵庫県立柏原中学校(現・兵庫県立柏原高等学校)を卒業し、その後日露戦争に従軍する[3]春日部村収入役村長を務め[3]兵庫県議、同議長、県農会特別議員に選ばれる[3]。ほか多利信用購買組合長、春日部村信用組合長、同農会長、黒井銀行、葛野銀行各取締役などを務める[3]

1932年第18回衆議院議員総選挙において兵庫5区(当時)から立憲政友会公認で立候補して当選[4]1936年第19回衆議院議員総選挙では昭和会から立候補したが落選した[5]

脚注

  1. ^ 衆議院『第六十一回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1932年、7頁。
  2. ^ a b 「畑和孝」『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』506頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『人事興信録』.10版、1934年、ハ之51頁。
  4. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』102頁。
  5. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』110頁。

参考文献

  • 『人事興信録』10版、人事興信所、1934年。
  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。



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