甲斐駒ヶ岳登頂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 08:14 UTC 版)
弘幡行者と名のり、山田孫四郎宅へ草鞋を脱ぎ援助を受け、村人から食物などをいただきながら夜が明ければ開道に勢を出し、日が暮れれば樹下や岩穴に臥した。登頂を試みる事、数十回(倒れているところを村人に発見され、山田家へ担ぎ込まれる事もしばしあった。)単独で横手から甲斐駒ヶ岳に入山し、3か月目に登頂に成功、開山を果した。瑞雲たなびく東方雲海より旭日する御来光をひざまずいて拝してから、頂上に立った。弘幡行者小尾権三郎21歳、文化13年(1816年)6月15日夜明けであった。
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