田辺モットとは? わかりやすく解説

田辺モット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/16 15:21 UTC 版)

田辺モット
別名 MOTTO
生誕 (1959-07-19) 1959年7月19日(64歳)
出身地 日本
ジャンル
職業
担当楽器
活動期間 1979年 -
事務所 ラグインターナショナルミュージック
共同作業者

田辺 モット(たなべ もっと、1959年7月19日 - )は、京都府在住のスタジオ・ミュージシャンベーシストである。1979年スピニッヂ・パワーでデビュー。1981年の脱退後は、スタジオやライブ・サポートで活動。1997年桑名正博らとTHE TRIPLE Xを結成。京都の(株)ラグインターナショナルミュージック所属。

略歴

中学時代、ザ・ベンチャーズを観に行ってベースの音の存在感に感銘を受け、ベースを弾き始める。

高校時代、バンドを組んでライブ活動を開始。

1979年、友人を頼って上京、スピニッヂ・パワーのベーシストとしてデビュー。

1981年、難波弘之の呼びかけで、そうる透とSENSE OF WONDERに参加。脱退後数多くのスタジオワークやライブサポートをこなす。

1997年、THE TRIPLE X結成に伴い桑名正博らより加入要請があり、岡本郭男と共にメンバー入り、インディーズ・レーベルで2枚アルバムをリリース後、2002年にメジャー・レーベルで「人生の訓示」をリリースしたが、この年で活動休止となる。

2003年から、数多くのスタジオワーク、ライブサポートをこなす一方で、ベース教室の開催やプロデュースを通して後進の育成に務めている。

ディスコグラフィー

  • スピニッヂ・パワー 「Runaway Trip」
  • 難波弘之 「飛行船の上のシンセサイザー弾き」(難波弘之の小説のイメージアルバムで、演奏はSENSE OF WONDERが担当)
  • THE TRIPLE X 「We Are The Triple X」「Lolita Complex」「人生の訓示」

主なサポートアーティスト

その他

現在は「田辺モット」名義で活動しているが、一時期「MOTTO」名義で活動していた。

THE TRIPLE Xの活動休止後、短期間「TRIPLE東京」と名乗って活動していたことがあるが、このTRIPLE東京のメンバー構成の解釈がメンバー間でズレている。田辺は公式サイトで、メンバーを「芳野藤丸・シンシア(シュンケイ(Crystal Kayの母親))・サントリー坂本・岡本郭男・田辺モット」としているが、坂本の公式サイトには「岡本・田辺・芳野・坂本・山本一」と掲載、岡本はファンの質問(ファンサイトに掲載)に対し、「芳野・坂本・田辺・岡本」と答えている。

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