田原隆雄とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 田原隆雄の意味・解説 

田原隆雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/13 15:53 UTC 版)

田原 隆雄
たはら たかお
生年月日 (1944-07-13) 1944年7月13日(80歳)
出生地 岡山県和気郡福河村(現・備前市
出身校 日本少林寺武道専門学校
前職 備前市議会議員
所属政党 無所属
公式サイト こんにちは田原隆雄です

当選回数 1回
在任期間 2017年4月24日 - 2021年4月23日

備前市議会議員
当選回数 3回
在任期間 2005年3月22日 - 2017年

当選回数 3回
在任期間 1986年10月 - 1998年10月

日生町議会議員
当選回数 4回
在任期間 1975年4月 - 1986年10月
2003年4月 - 2005年3月21日
テンプレートを表示

田原 隆雄(たはら たかお、1944年昭和19年)7月13日[1] - )は、日本政治家。元岡山県備前市長(1期)。日生町議会議員、日生町長、備前市議会議員などを歴任した。

来歴

岡山県和気郡福河村(現・備前市)出身。日生町立福河小学校、日生町立福河中学校卒業。1963年(昭和38年)3月、兵庫県立相生産業高等学校卒業。同年4月、三星ベルト株式会社に就職。石綿業の会社を経て、1965年(昭和40年)1月に株式会社森下製網所に転職[2]

1975年(昭和50年)4月、日生町議会議員に初当選。1980年(昭和55年)3月、日本少林寺武道専門学校卒業。1984年(昭和59年)、同社を退職[3]

町議3期目の1986年(昭和61年)10月、日生町長に初当選。1998年(平成10年)まで町長を3期務める。2000年(平成12年)12月、株式会社エコ・タウン備前を設立し代表取締役に就任[3]。2003年(平成15年)4月、日生町議に再び就任。

2005年(平成17年)3月22日、日生町は備前市、吉永町と合併し、新・備前市が誕生する。在任特例で備前市議会議員となる。

2016年(平成28年)12月8日、次期備前市長選挙に出馬する意向を表明[4]

2017年(平成29年)4月9日に行われた備前市長選において、現職の吉村武司、元市議の沖田護らとの激戦を制し初当選を果たした[5]。4月24日、市長に就任。選挙の結果は以下のとおり。 ※当日有権者数:30,493人 最終投票率:61.07%(前回比:+3.31pts)

候補者名 年齢 所属党派 新旧別 得票数 得票率 推薦・支持
田原隆雄 72 無所属 6,538票 35.66%
吉村武司 70 無所属 6,380票 34.80% (推薦)自民党民進党公明党日本維新の会日本のこころ
沖田護 65 無所属 5,415票 29.54%

2021年(平成29年)4月11日に行われた備前市長選で再選を目指し立候補するも、前回下した吉村に敗れた[6]。 ※当日有権者数:28,627人 最終投票率:59.96%(前回比:-1.11pts)

候補者名 年齢 所属党派 新旧別 得票数 得票率 推薦・支持
吉村武司 74 無所属 8,331票 49.44%
田原隆雄 76 無所属 7,729票 45.87%
木村正義 77 無所属 789票 4.69%

市政

  • 2020年(令和2年)6月1日、新型コロナウイルス対策の財源に充てるため、自身と副市長、教育長の6月期末手当を20%減額する条例案を市議会定例会に提出した[7]。6月26日、同条例案は可決された[8]

脚注

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「田原隆雄」の関連用語

田原隆雄のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



田原隆雄のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの田原隆雄 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS