田原神社 (松江市)とは? わかりやすく解説

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田原神社 (松江市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/14 20:50 UTC 版)

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田原神社

所在地 島根県松江市奥谷町122[1]
位置 北緯35度28分56.8秒 東経133度03分07.8秒 / 北緯35.482444度 東経133.052167度 / 35.482444; 133.052167 (田原神社)座標: 北緯35度28分56.8秒 東経133度03分07.8秒 / 北緯35.482444度 東経133.052167度 / 35.482444; 133.052167 (田原神社)
主祭神 東殿:武御雷之男神・経津主神・天津児屋根命・姫大神
西殿:宇迦之御魂神[1]
社格 旧県社[1]
創建 不明
本殿の様式 春日造
別名 春日神社[1]
例祭 4月15日
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田原神社(たわらじんじゃ)は島根県松江市奥谷町に鎮座する神社。元来は2社であったが江戸時代延宝2年(1674年)に1社に合わさった。旧県社

春の枝垂れ桜やサツキ、秋の紅葉が美しく、小泉八雲が好んで訪れていた[要出典]

祭神

主祭神[1]
配神

歴史

東殿は、『出雲国風土記島根郡条の田原社に比定される。元々、北方の城北通り沿いにある田原谷池という地名が示すように、春日町田原谷に鎮座した田原神社、或いは春日神社である。『雲陽誌』によれば、江戸期には、奥谷にあって春日四社大明神と呼ばれていた。

西殿は、『雲陽誌』によると亀田山に鎮座していた宇賀社とされ、堀尾吉晴による松江城築城に伴って奥谷に遷座したという。延宝年間、現在地に奉遷。

松江開府とともに東西両殿は春日宇賀両社大明神と称した。明治初年に、両者を併称して田原神社と公称。

境内社

  • 梅宮社
  • 紺姫社
  • 水神社
  • 租神社
  • 愛宕社
  • 若宮社
  • 天満宮
  • 望東稲荷

文化財

建造物
  • 随神門 - 江戸時代の入母屋造。木工職人・小林如泥(宝暦3年(1753年) - 文化10年(1813年))作の見事な彫物がある。市指定有形文化財[1]

参道石段の両側にある石灯篭は、笠石の上に十二支の動物が乗る珍しいもの。来待石製の大きな狛犬は、幕末の名工乙右ヱ門作。

祭事

10月15日の秋季例大祭では例年、地元小学女児4名により浦安の舞が舞われる。

交通

  • 山陰本線 松江駅 レイクラインで10分、小泉八雲記念館前バス停下車、徒歩約10分

脚注

  1. ^ a b c d e f 新田均、落合直人(顧問). 現代日本社会学部: “田原神社”. 皇學館大学. 2021年5月14日閲覧。 “由緒=出雲風土記には社名を「田原社」と記してあるが、御祭神が奈良の春日大社とほぼ同じところから一般には広く「春日神社」奉称している。御本殿は東殿、西殿の両殿から成っており、東でんは出雲風土記所載の「田原社」、西殿はもと亀田山に鎮座の三所荒神がお祀りしてある。随神門は寝殿造り風な流麗な造りで市の指定有形文化財に指定されている”

関連項目

周辺に分布する名所旧跡

社寺
博物館、美術館



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