田原直哉とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 田原直哉の意味・解説 

田原直哉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/07 22:56 UTC 版)

田原 直哉
個人情報
国籍 日本
生誕 (1980-12-24) 1980年12月24日(44歳)
和歌山県和歌山市
身長 1.65 m (5 ft 5 in)
体重 69 kg (152 lb)
スポーツ
日本
競技 体操エアリアル
獲得メダル
日本
男子体操
ユニバーシアード体操競技
2003年夏季ユニバーシアード 団体総合
東アジア競技大会
2005年東アジア競技大会 団体総合
全日本学生体操競技選手権大会
2001年 個人総合
男子エアリアル
全日本フリースタイルスキー選手権大会
2008年
2009年
2011年
2012年
2016年
2017年
2019年

田原 直哉(たばら なおや、1980年12月24日 - )は、和歌山県和歌山市出身[1]の元体操選手、エアリアル選手。日本体育大学卒。

人物

体操を始めたのは小学校2年生で、高校を卒業するまで和歌山オレンジ体操クラブに在籍した[2]

日本体育大学に入学、同期には水鳥寿思がいた[3]2001年の全日本学生選手権で個人総合3位、ナショナルチーム入りを果たした[4]

大卒後は徳洲会体操クラブに所属[2]アテネオリンピックを目指すものの2次選考会22位に終わり[5]、代表入りはならなかった。

2005年に右肩筋断裂。2006年7月のNHK杯体操選手権は18位(前年5位)と不成績に終わり[6]、手術しても北京五輪に間に合わないため引退を決意[7]

同年8月、体操競技で培った能力を活かせると判断して、トリノオリンピックで知ったエアリアルに転向した[8]。所属は徳洲会スキークラブ。

2008年全日本選手権で3位入賞。その後も2009年2位、2010年・2011年・2016年・2017年・2019年に優勝している。2016年頃からは和歌山のミルキーウェイに所属。

2012年のワールドカップ第1戦では日本人男子選手として初めてメダル(3位)を獲得した。

2017年3月に行われたワールドカップで7位入賞、全日本スキー連盟が定める派遣推薦基準を突破し、平昌オリンピック日本代表となった[4]

オリンピック本番では踏み切りや着地のミスもあり[9]、最終結果は19位(予選1回目17位、2回目13位)。

体力の衰えや金銭面での不安を抱えていたが、五輪での悔しさから現役を続行した[10]

2019年からは、エアリアルの新たな人材発掘を目的とする全日本スキー連盟の事業のスタッフとしても活動している[11]

脚注

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「田原直哉」の関連用語

田原直哉のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



田原直哉のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの田原直哉 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS