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田中秀治郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/24 05:39 UTC 版)

田中 秀治郎(たなか ひでじろう、1863年11月30日文久3年10月20日[1])- 1922年大正11年)8月30日[2])は、日本の実業家政治家衆議院議員

経歴

筑前国怡土郡、後の長糸村(現福岡県糸島市)で[1]、田中喜蔵の二男として生まれる[3]福岡の正木昌陽、豊前中津の大久保啓蔵から漢籍を学ぶ[1]1902年(明治35年)東京法学院を卒業した[2]

大阪染色を学び福岡市東中洲で染色業を営んだ[1]。その後帰郷して、長糸村役場に就職し兵事係となる[1]1892年(明治25年)長糸村会議員に選ばれ、さらに学務委員、福岡県会議員、糸島郡会議員、同参事会員、糸島銀行常務取締役などを務めた[1][2]。1902年8月、第7回衆議院議員総選挙(福岡県郡部)で当選し、衆議院議員を1期務めた[2]

1905年(明治38年)から1907年(明治40年)まで朝鮮で活動し、1910年(明治43年)に再度朝鮮に渡り、所有地の開発事業を行うとともに、釜山居留民団議員、学校組合会議員、釜山府庁協議会員などを務めた[1]

1919年(大正8年)病のため帰国し、九州鉄道監査役となるが、1922年に死去した[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 『糸島郡誌』691-692頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』361頁。
  3. ^ 『人事興信録 初版』458頁。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年。
  • 糸島郡教育会、福岡県糸島郡教育会編『糸島郡誌』福岡県糸島郡教育会、1927年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。



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