生盲経
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 17:02 UTC 版)
「群盲象を評す」も参照 釈迦は舎衛城に滞在中、そこで様々な沙門バラモンらの哲学的見解(ディッティ)を耳にした。 Santeke samaṇabrāhmaṇā evaṃvādino evaṃdiṭṭhino 'sassato loko idameva saccaṃ moghamañña'nti. Santi paneke samaṇabrāhmanā evaṃvādino evaṃdiṭṭhino 'asassato loko idameva saccaṃ moghamañña'nti.Santeke samaṇabrāhmaṇā evaṃvādino evaṃdiṭṭhino 'antavā loko idameva saccaṃ moghamañña'nti.Santi paneke samaṇabrāhmanā evaṃvādino evaṃdiṭṭhino ' anantavā loko idameva saccaṃ moghamañña'nti Santeke samaṇabrāhmaṇā evaṃvādino evaṃdiṭṭhino ' taṃ jīvaṃ taṃ sarīraṃ idameva sacacaṃ moghamañña'nti. Santi paneke samaṇabrāhmaṇā evaṃvādino evaṃdiṭṭhino 'aññaṃ jīvaṃ aññaṃ sarīraṃ idameva saccaṃ moghamañña'nti. ある沙門バラモンたちは、このような見解を主張する。「世界は永続的である、これのみが真理であり、他は虚妄である」と。またある沙門バラモンたちは、このような見解を主張する。「世界は永続的ではない、これのみが真理であり、他は虚妄である」と。ある沙門バラモンたちは、このような見解を主張する。「世界は有限である、これのみが真理であり、他は虚妄である」と。またある沙門バラモンたちは、このような見解を主張する。「世界は無限である、これのみが真理であり、他は虚妄である」と。ある沙門バラモンたちは、このような見解を主張する。「魂と身体は同一である、これのみが真理であり、他は虚妄である」と。またある沙門バラモンたちは、このような見解を主張する。「魂と身体は同一はない、これのみが真理であり、他は虚妄である」と。 —パーリ仏典, Sri Lanka Tripitaka Project 過去において、とある舎衛城の王が生まれながらの盲人を集め、象を触らせた。彼らは口々にこう評したのであった。 象の頭を触った盲人は、「象とは瓶のようなものである」。 象の耳を触った盲人は、「象とは蓑のようなものである」。 象の牙を触った盲人は、「象とは杭のようなものである」。 象の鼻を触った盲人は、「象とは鋤のようなものである」。 象の体を触った盲人は、「象とは穀倉のようなものである」。 象の足を触った盲人は、「象とは柱のようなものである」。 象の腱を触った盲人は、「象とは臼のようなものである」。 象の尾を触った盲人は、「象とは杵のようなものである」。 象の尾先の毛を触った盲人は、「象とは箒のようなものである」。 釈迦は、この盲人と象の例を受けて、このように述べた。 "Imesu kira sajjanti eke samaṇabrāhmaṇā,Viggayha naṃ vivadanti janā ekaṅgadassīno"ti. ある沙門バラモンらは、まさに、これら(見解)に執着する。ある一部分のみを見る人たちは、その一部分に執着して論争する。
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