生石崎の侍伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 09:26 UTC 版)
「出石神社 (洲本市由良)」の記事における「生石崎の侍伝説」の解説
出石神社の境内には、海賊との戦いで切腹して果てた大館主膳正有光(おおだてしゅぜんのかみありみつ)と、桑村隼人亮(くわむらはやとのすけ)の二人の侍が祀られている。『淡路国名所図絵』には、この二人の侍にまつわる伝承が、おおよそ次のように記されている。 阿波細川家が調達した弓矢を満載した大館主膳正有光の船が海賊舟数十艘に襲われた。主膳と家来は調達した弓矢で応戦し、海賊舟は怪我人や死者であふれ容易には主膳の船に近づけなかったが、ついに主膳も重傷を負い矢も底をついた。 主膳は船尾の屋根へ駆けあがり、声を張り上げて 「私は海の底から、欲にまみれた外道共の妨げと成るのだ。」 と言い残し、切腹して海に身を投げた。家来たちも後を追い切腹し、船に火をかけて焼け死んだ。 それからこの海が静まったことがない。 又、近年三好実休が堺に遣わした桑村隼人亮(くわむらはやとのすけ)も、生石崎表で海賊船数十艘に襲われ討死した。 このことで更に海は荒れたので、実休は高僧数十人に六万巻の陀羅尼を誦させ、侍たちを権現に祀ったところ、 海は静まり今に至っているという。
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