王立取引所 (ニューヨーク)
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王立取引所(おうりつとりひきじょ)、ないし、ロイヤル・エクスチェンジ (Royal Exchange) としてニューヨークに設けられていた建物は、後年には旧王立取引所、オールド・ロイヤル・エクスチェンジ (Old Royal Exchange)、あるいは、マーチャンツ・エクスチェンジ (Merchants Exchange) などとも称された[1]、屋根のある市場として、マンハッタンのブロード・ストリートの南側、ウォーター・ストリート (Water Street) と交差する位置の近くにあった[2]。当初は、1階建ての建物として1675年に建てられたが、 1752年には、上階に集会場を設ける形で再建され、当時のイングランドやヨーロッパで典型的な形態であった市場施設となった。
ニューヨーク市商業会議所(the Chamber of Commerce in the City of New York:1784年以降の ニューヨーク州商業会議所 / Chamber of Commerce of the State of New York)は、1770年からアメリカ独立戦争までの期間、この建物の2階の集会場で会合を開いていた。1785年に、ニューヨーク市がアメリカ合衆国の首都となるとニューヨーク州議会の会議がこの建物でおこなわれるようになったが、これは、それまで州議会が使っていた施設(後のフェデラル・ホール)を連合会議が使うようになったためであった。
1789年11月3日、ニューヨーク地区連邦裁判所(the federal court for the District of New York:後のSouthern District of New York)は、この建物で開かれ、これはアメリカ合衆国憲法の下で開廷された、最初の連邦裁判所となった。初代の連邦裁判所ニューヨーク地区判事は、ジェイムズ・デュアンであった。この裁判所がこの建物で取り扱った最初期の事案の中には、地元の弁護士たちの承認もあり、このときアーロン・バーらに資格が与えられた[3]。裁判所は、1791年にフェデラル・ホールへ移った[4]
合衆国最高裁判所は、1790年2月2日から2月10日にかけて、最初の審理を、この建物でおこなった。法廷の開廷に先立って、市の職員たちは、市場の肉屋たちを移動させ、通りを封鎖して、法廷が「荷車の騒音による中断 (interruption from the noise of carts)」が起こらないようにした[5]。2回目の法廷がおこなわれたのは1790年8月であった[3]。こうしてニューヨークでは、合計12日間、法廷が開かれた[2]。1791年、連邦最高裁は、他の政府機関ともども、フィラデルフィアのフィラデルフィア旧市庁舎に移った。
脚注
- ^ 後に19世紀になってから、ウォール・ストリート55番地に設けられた取引所と混同しないこと。
- ^ a b Suzy Maroon. The Supreme Court of the United States, New York and Charlottesville: Thomasson-Grant and Lickle (1996), p. 18. ISBN 0-9650308-0-6
- ^ a b c Robert Pigott. New York's Legal Landmarks: A Guide to Legal Edifices, Institutions, Lore, History, and Curiosities on the City's Streets, New York: Attorney Street Editions (2014), pp. 7–8. ISBN 978-0-61599-283-9
- ^ Southern District Archived 2017-01-24 at the Wayback Machine., accessed February 6, 2017[出典無効]
- ^ Hodak, George (2011年2月1日). “February 2, 1790: Supreme Court Holds Inaugural Session”. abajournal.com. Chicago, Illinois: American Bar Association. 2020年12月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年8月24日閲覧。
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