王喜 (燕)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/07/11 13:39 UTC 版)
燕王喜(えんおうき、? - 紀元前222年?、在位紀元前254年 - 紀元前222年)は、中国の戦国時代の燕の最後の君主。
父は先代の孝王。子に始皇帝の暗殺を謀ったことで有名な太子丹がいる。
前254年に即位すると宰相の栗腹を趙に使者として送って友好を深めようとした。だがこの頃の趙は長平の戦いで秦の白起に大敗して40万の兵を失い疲弊していた。それを帰国した栗腹の報告で知った喜は考えを改めて軍を趙に攻め込ませた。しかし趙の名老将である廉頗に迎撃されて燕軍は大敗し、逆に都の薊を包囲されて和睦せざるを得なくなる。その後、秦の圧力を受けて趙が押されると再度攻め入るが敗れた。
喜は秦と友好関係を結んでおり、友好の証として太子丹を人質として差し出していた。丹は趙で始皇帝(当時は政)が人質の境遇にあった際、共に人質として交友関係があったのだが秦で政に冷遇されたのを恨んで燕に逃亡した。丹は荊軻を刺客として送るが失敗し、秦は王翦・李信両将軍に軍を預けて攻め込んできた。喜は抗戦するが半年ほどで薊は陥落し遼東に逃亡。秦は執拗に燕を追討したため、喜は丹の首を送って秦に謝罪する。秦王政は一応燕を許し、喜は遼東でしばらく延命するも、前222年に秦の侵攻を受けて遼東も陥落し、喜は捕らえられて燕は滅亡した。
参考文献
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