玄性寺とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 文化 > 寺院名 > 玄性寺の意味・解説 

玄性寺

読み方:ゲンショウジ(genshouji)

別名 那須与一公の寺

宗派 曹洞宗

所在 栃木県大田原市

本尊 薬師如来

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

玄性寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/25 22:34 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
玄性寺 げんしょうじ
所在地 栃木県大田原市福原361
位置 北緯36度48分07秒 東経140度03分27秒 / 北緯36.80194度 東経140.05750度 / 36.80194; 140.05750座標: 北緯36度48分07秒 東経140度03分27秒 / 北緯36.80194度 東経140.05750度 / 36.80194; 140.05750
山号 須峯山
院号 瑠璃光院
宗旨 曹洞宗
本尊 薬師如来
正式名 須峯山瑠璃光院玄性禪寺
別称 功照院
法人番号 6060005004398
テンプレートを表示

玄性寺(げんしょうじ)は、栃木県大田原市にある曹洞宗寺院である。山号は須峯山。詳名は須峯山瑠璃光院玄性寺。本尊は薬師如来

歴史

那須氏菩提寺で、伝承によれば、3代那須資之が、京都東山の即成院に埋葬された弟の那須与一(宗隆、のち資隆)の分骨を受けて建立した功照院が始まりという。この功照院は永正11年(1514年)に廃寺となったという。

天正18年(1590年)に5歳で那須家を継ぎ、後に那須藩主となった那須資景が、曹洞宗の鉄尊を招き、玄性寺として再建した。資景の院号が「須峯院」、子の資重戒名(法号)が「玄性」であることから、須峯山玄性寺は、資景が、自分に先立って没した子・資重(寛永19年・1642年没)の菩提のために建立したものと推定されている。[1]

毎年9月には与一に因み、墓前祭及び弓道大会が行われる。

交通アクセス

JR東北本線 那須塩原駅から車で20分

周辺

  • 与一公園キャンプ場

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 院号・戒名と玄性寺の関係については、『日本歴史地名大系 栃木県の地名』(平凡社、1988)の「玄性寺」の項による。

外部リンク



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「玄性寺」の関連用語

玄性寺のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



玄性寺のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの玄性寺 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS