狭義の任那説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 11:52 UTC 版)
狭義の任那は、任那地域に在った金官国(現代の慶尚南道金海市)を指す。田中俊明や熊谷公男は「金官」の名は『日本書紀』継体天皇23年4月条にこの国を構成する4つの邑の1つとして登場することから、「金官」の国名を首邑のあった邑名に由来すると説き、本来は「任那」と称される邑に首邑があったが、400年の高句麗の侵攻によって本来の首邑「任那」を失って金官に首邑を移したために国名も「金官」と変更されたが、日本側では引き続き旧称の「任那」が用いられたとする説を唱えている。中国及び朝鮮史料の解釈ではこちらの用法が多いが、『日本書紀』では532年に金官国が新羅に征服されてからも、それ以外の地域が相変わらず任那とよばれているから『日本書紀』の用法は後述の「広義の任那」である。
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