特操転用と総軍班
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/08 12:53 UTC 版)
1945年6月には、情報要員に転用されることになった陸軍の特別操縦見習士官(以下「特操」)のうち、第7方面軍の参謀部に配属された約40名全員を機関員として受け入れ、また南方軍総司令部参謀部付となった特操のうち80名をゲリラ要員として訓練することになり、リバー・バレー路の本部近くのインスティテシューション・ヒルにあった訓練所で現地語や無線通信などの講義を受けさせた(通称「ヤマ」、「総軍班」)。
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