爆弾テロの準備と警察による逮捕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/22 02:06 UTC 版)
「大森勝久」の記事における「爆弾テロの準備と警察による逮捕」の解説
※この節については、大森勝久の立場から見た記述になります。 札幌に居を移す直前の1975年5月19日、東アジア反日武装戦線のメンバーが一斉検挙された。 大森は一刻も早く爆弾テロを決行しようとし、材料の購入などの準備をした。しかし爆弾の材料となる除草剤を購入しようとしたときは、既に冬であった。冬の北海道には除草剤は売っていなかった。 購入出来ずにいたところ、1976年3月2日に北海道庁爆破事件が発生した。この事件により、除草剤の購入が益々困難になった。 1976年7月2日、友人の加藤三郎は、除草剤等を所持していたことが警察に発覚、爆発物取締罰則違反で指名手配された。その際、加藤の交友関係を調べていくうちに大森の名前が浮上、1976年8月10日に爆発物取締罰則3条違反容疑(製造器具の所持)の容疑で逮捕され、9月1日に北海道庁爆破事件の実行者として再逮捕された。また1975年7月19日に発生した北海道警察本部爆破事件の容疑でも逮捕されたが、道警爆破事件は証拠不十分のため不起訴となった。
※この「爆弾テロの準備と警察による逮捕」の解説は、「大森勝久」の解説の一部です。
「爆弾テロの準備と警察による逮捕」を含む「大森勝久」の記事については、「大森勝久」の概要を参照ください。
- 爆弾テロの準備と警察による逮捕のページへのリンク