熊谷主膳正
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/13 01:47 UTC 版)
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時代 | 江戸時代前期 |
生誕 | 元和5年(1619年) |
死没 | 寛永2年7月28日[1](1625年8月30日) |
戒名 | 実中幻荷童子[1] |
官位 | 主膳正[1] |
主君 | 毛利秀就 |
藩 | 長州藩 |
氏族 | 桓武平氏直方流熊谷氏[2] |
父母 | 父:熊谷元貞[1] 母:英誉光珠(福原広俊の三女)[1][3] |
子 | なし |
特記 事項 |
宍戸広匡の次男である元実が後を継いだ[4]。 |
熊谷 主膳正(くまがい しゅぜんのかみ)は、江戸時代初期の武士。長州藩士・熊谷氏の当主。毛利氏家臣で長州藩士。父は熊谷元貞。「主膳正」の名乗りは官途名と考えられ、諱は不詳。
生涯
元和5年(1619年)、長州藩士・熊谷元貞の嫡男として生まれる[1]。
元和9年(1623年)1月5日に父・元貞が病死したため、わずか5歳で熊谷氏の当主となったが、2年後の寛永2年(1625年)7月28日に7歳で病死した[1]。
主膳正の病死により熊谷氏は断絶の危機を迎えたが、祖父・熊谷直貞の妹である「おちやん」が杉重政に嫁いで女子を産んでいたため、その女子を宍戸広匡の次男・元実に娶せて、熊谷氏の家督を相続させた。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g 近世防長諸家系図綜覧 1966, p. 238.
- ^ 近世防長諸家系図綜覧 1966, p. 235.
- ^ 近世防長諸家系図綜覧 1966, p. 109.
- ^ 近世防長諸家系図綜覧 1966, pp. 238–239.
参考文献
- 防長新聞社山口支社編、三坂圭治監修『近世防長諸家系図綜覧』防長新聞社、1966年3月。 NCID BN07835639。
OCLC 703821998。全国書誌番号:
73004060。
国立国会図書館デジタルコレクション
- 山口県文書館編『萩藩閥閲録』巻27「熊谷帯刀」
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