火の山説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/06 17:13 UTC 版)
御薗生翁甫が茶臼山は響灘を俯瞰できないこと、大唐櫃山・小唐櫃山は長門国府の設置された下関市長府地区の背後にあるため防備上不合理なことから両説を否定し、長府の南方に聳え、瀬戸内海・響灘・九州を俯瞰できる火の山(下関市椋野、標高268.2m)にあると主張した。火の山は狼煙山としても使われており、戦国時代には大内氏や毛利氏の家臣が拠ったという記録もあるため、城山としての条件を備えていたことを根拠としている。
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