潘量豊とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 潘量豊の意味・解説 

潘量豊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/06 04:20 UTC 版)

潘量豊(はんりょうぶ、朝鮮語: 반양풍(南), 반량풍(北)生没年不詳)は、欽明天皇の在位中である554年に、百済倭国に貢上したとされる採薬師(薬物薬草を採集する人)[1]。官職は「施徳」[1]中国人名であるため、百済帰化していた中国人とみられる[2]

概要

日本書紀』は、513年に百済は五経博士段楊爾を貢したが、3年後に段楊爾を帰国させ、かわって漢高安茂を貢し、554年に固徳馬丁安にかえ、易博士王道良五経博士王柳貴、易博士王保孫医博士王有㥄陀、採薬師潘量豊と丁有陀倭国に貢した(貢した=「貢ぎ物を差し上げる」)と記録している[3][4]

前川明久は、五経博士の貢上は「512年から513年任那割譲によって領土を拡大した百済が大和朝廷に与えた代償」と指摘している[4]

脚注

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  潘量豊のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「潘量豊」の関連用語

潘量豊のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



潘量豊のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの潘量豊 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS