滋岡長彦
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滋岡 長彦(しげおか ながひこ、1882年(明治15年)4月5日[1] - 没年不詳)は、日本の内務官僚。兵庫県姫路市長。
経歴
大阪府出身。1909年(明治42年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、高等文官試験に合格した。大阪府属、同警視、同泉南郡長、同三島郡長、栃木県芳賀郡長、同上都賀郡長、同理事官、京都府学務課長、和歌山県警察部長、山口県内務部長などを歴任した。
退官後の1925年(大正14年)に姫路市長に選出され、1930年(昭和5年)までの2期在任した。
家族
- 父・滋岡従長 ‐ 滋岡家は大阪天満宮の神主家で、従長はその11代目。[2][3]
- 妻・壮 ‐ 徳大寺家の諸大夫で家扶の堀川師克の二女。[2][4]
- 姻戚(岳父の姉妹の夫)に上田宗雄、滋賀重列。[2][5]
脚注
- ^ 人事興信録 第10版 1934.
- ^ a b c 滋岡長彦『人事興信録』第8版、昭和3(1928)年
- ^ 大阪天満宮御文庫のこと : 連歌書を中心に 島津忠夫、なにわ・大阪文化遺産学研究センター2005 1-5, 2006-03-31
- ^ 山城国京都徳大寺家文書目録国文学研究資料館
- ^ 滋賀重列『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第10版(上)』人事興信所、1934年。
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