源信寺 (足立区)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 源信寺 (足立区)の意味・解説 

源信寺 (足立区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/16 04:22 UTC 版)

源信寺
所在地 東京都足立区千住大川町40-6
位置 北緯35度45分23.2秒 東経139度47分45.2秒 / 北緯35.756444度 東経139.795889度 / 35.756444; 139.795889 (源信寺 (足立区))座標: 北緯35度45分23.2秒 東経139度47分45.2秒 / 北緯35.756444度 東経139.795889度 / 35.756444; 139.795889 (源信寺 (足立区))
山号 五明山
宗派 真宗大谷派
本尊 阿弥陀如来
創建年 昭和8年(1933年
開山 釈信雄
正式名 五明山源信寺
公式サイト 浄土真宗大谷派五明山「源信寺」(北千住)
法人番号 8011805000110
テンプレートを表示

源信寺(げんしんじ)は、東京都足立区にある真宗大谷派寺院

歴史

1933年昭和8年)、釈信雄によって開山された。釈信雄は同宗派だった常護寺[1]の出身で、新たに一寺を設けることになった[2]

現在の本堂は、1970年(昭和45年)に新築したもので、2006年平成18年)に門信徒会館が建てられた[3]

本尊阿弥陀如来像は、川崎市の寺院から譲られたもので江戸時代に作られたものである[2]

千宝山新橋霊場地蔵堂

千宝山新橋霊場地蔵堂(せんぽうさんしんばしれいじょうじぞうどう)は、東京都足立区にある地蔵堂。足立区立千寿双葉小学校の隣にあり、「千住厄除地蔵講」(以降、「地蔵講」とする。)が管理している。1928年(昭和3年)、千住第三小学校(千寿双葉小学校の前身)の土中から地蔵菩薩像が出土したのがきっかけで地蔵講が結成された[2]

この地蔵堂は当寺の境外仏堂ではないが、地域活動として地蔵講に関わっており、毎年1月5月9月の24日に当寺住職が地蔵堂で念仏を唱えている[2]

交通アクセス

出典

  1. ^ お東騒動後、浄土真宗東本願寺派に移行している。
  2. ^ a b c d 足立区立郷土博物館 編『足立の仏像―ほとけがつなぐ足立の歴史―(区制80周年記念特別展)』足立区立郷土博物館、2012年、35-36p
  3. ^ 由緒・お寺紹介源信寺

参考文献

  • 足立区立郷土博物館 編『足立の仏像―ほとけがつなぐ足立の歴史―(区制80周年記念特別展)』足立区立郷土博物館、2012年

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  源信寺 (足立区)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「源信寺 (足立区)」の関連用語

源信寺 (足立区)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



源信寺 (足立区)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの源信寺 (足立区) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS