満福寺 (鎌倉市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/09 05:53 UTC 版)
| 満福寺 | |
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| 所在地 | 神奈川県鎌倉市腰越二丁目4番8号 | 
| 位置 | 北緯35度18分27.5秒 東経139度29分42.1秒 / 北緯35.307639度 東経139.495028度座標: 北緯35度18分27.5秒 東経139度29分42.1秒 / 北緯35.307639度 東経139.495028度 | 
| 山号 | 龍護山[1] | 
| 院号 | 医王院[2] | 
| 宗旨 | 真言宗[1] | 
| 宗派 | 真言宗大覚寺派 | 
| 本尊 | 薬師如来[2] | 
| 創建年 | 天平16年(744年) | 
| 開山 | 伝行基[1] | 
| 中興 | 高範[2] | 
| 正式名 | 龍護山 医王院 満福寺 | 
| 札所等 | 新四国東国八十八箇所84番 | 
| 文化財 | 腰越状 | 
| 公式サイト | 龍護山 満福寺 | 
| 法人番号 | 5021005001976 | 
満福寺(まんぷくじ)は、神奈川県鎌倉市腰越にある真言宗大覚寺派の寺院。江ノ島電鉄の腰越駅を降りて海岸側に約250メートル行き、踏切を渡った所にある。
歴史
元暦2年(1185年)5月、源義経が兄頼朝に怒りを買い、鎌倉入りを許されず腰越の地に留められた際に、頼朝に心情を訴える腰越状を書いた寺として知られる[1]。寺には弁慶が書いた腰越状の下書きとされる書状が展示されており、境内には弁慶の腰掛け石や手玉石など、義経・弁慶ゆかりの品々が多数展示されている。
本堂と霊園
境内脇からトンネルが掘られており、進みゆくと七里ヶ浜霊園がある。傾斜地のため墓参用のモノライダー(モノレール)が設置されている。
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    本堂
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    七里ヶ浜霊園に向かう隧道
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    七里ヶ浜霊園のモノライダー
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    6人乗り搬器
 
アクシデント
2021年2月12日、敷地内に所在する多目的施設の「
    
脚注
- ^ a b c d 新編鎌倉志 1915, p. 112.
 - ^ a b c 新編相模国風土記稿 1932, p. 177.
 - ^ “源義経ゆかりの寺、敷地内にある多目的施設が全焼 鎌倉”. 朝日新聞. (2021年2月12日). オリジナルの2021年2月13日時点におけるアーカイブ。 2021年2月13日閲覧。
 - ^ “義経ゆかりの鎌倉の寺で火災、1棟が全焼…江ノ電20本運休”. 読売新聞. (2021年2月12日). オリジナルの2021年2月13日時点におけるアーカイブ。 2021年2月13日閲覧。
 
参考文献
- 河井恒久 等編 編「巻之六 満福寺」『新編鎌倉志』 第5冊、大日本地誌大系刊行会〈大日本地誌大系〉、1915年、112頁。NDLJP:952770/71。
 - 「深澤庄 満福寺」『大日本地誌大系』 第40巻新編相模国風土記稿5巻之105村里部鎌倉郡巻之37、雄山閣、1932年8月。NDLJP:1179240/95。
 
外部リンク
- 龍護山 満福寺 - 公式ウェブサイト
 
- 満福寺_(鎌倉市)のページへのリンク