渭山城・寺島城とは? わかりやすく解説

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渭山城・寺島城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 21:27 UTC 版)

徳島城」の記事における「渭山城・寺島城」の解説

この地は鎌倉時代より伊予国地頭河野氏支配していた。室町時代1385年至徳2年)に細川頼之四国地方にあった南朝方の勢力討ち現在の城地の城山小城築いた。頼之は助任川風光中国渭水例え、この地を渭津、山を渭山と名付けたとされ、または富田庄(のちの徳島)の地頭として来任した河野通純が1272年文永9年)に築いたともされる。渭山の名についても、西から見た姿がイノシシに似るため猪山呼んだという説もある。 『城跡記』は徳島城築城について「渭山寺両城合して一城となす」と記す。寺島城は平地にあった城で、文献寺島西端(現 郷土文化会館付近)とするが、発掘調査ではのちの花畑(現 市立体育館付近)の可能性示唆される

※この「渭山城・寺島城」の解説は、「徳島城」の解説の一部です。
「渭山城・寺島城」を含む「徳島城」の記事については、「徳島城」の概要を参照ください。

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