渡辺の地名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 15:10 UTC 版)
北御堂から南御堂にかけての渡辺筋沿いに位置した北渡辺町・南渡辺町は、1930年(昭和5年)に大半が本町・南本町・唐物町・北久太郎町へ編入され、南渡辺町の南端部がわずかに残るだけとなり、同時に渡辺町に改称された。 辛うじて残った渡辺町の町名も、1989年(平成元年)に北久太郎町・南久太郎町・横堀5丁目の一部と統合されて現行の久太郎町となり消滅した。しかし、坐摩神社の渡辺津から船場への遷座と共に移住し、以後町名として続いてきた「渡辺」の名が消えることに反対する運動が渡辺姓の末裔の間で起こり、久太郎町四丁目には全国的にも珍しい数字を用いた街区符号の代わりに「渡辺」という漢字の付く街区が用いられることになり、大阪市中央区久太郎町四丁目1番、2番、3番、渡辺の順で街区符号が設定されている。
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