清浄院_(越谷市)とは? わかりやすく解説

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清浄院 (越谷市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/12 15:14 UTC 版)

清浄院
所在地 埼玉県越谷市大松60
位置 北緯35度56分07.7秒 東経139度48分42.2秒 / 北緯35.935472度 東経139.811722度 / 35.935472; 139.811722座標: 北緯35度56分07.7秒 東経139度48分42.2秒 / 北緯35.935472度 東経139.811722度 / 35.935472; 139.811722
山号 榮廣山
院号 清浄院
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 鎌倉時代後期
開山 賢真
開基 新方氏
中興年 戦国時代中期
中興 高賢
文化財 木造阿弥陀如来坐像2体(越谷市指定有形文化財)、清浄院開山塚(越谷市指定史跡)
公式サイト 栄広山浄土寺清浄院
法人番号 5030005010128
清浄院
清浄院 (埼玉県)
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清浄院(しょうじょういん)は、埼玉県越谷市にある浄土宗寺院

歴史

鎌倉時代後期、新方氏の開基である。当地は金沢流北条氏所領となっており、新方氏は所領の管理人の役割を果たしていた。金沢北条氏の文庫金沢文庫」には、当院の経緯を記した古文書が残されている[1][2]

その後の戦国時代の兵乱で新方氏が滅亡、当寺も廃寺に追い込まれたが、新方氏の残党が決起して、まもなく寺が再興された[2]

1648年慶安元年)、江戸幕府第3代将軍徳川家光より寺領12が与えられた。それとともに増上寺の末寺となり、歴代将軍の位牌を祀っている[1]

文化財

  • 木造阿弥陀如来坐像(越谷市指定有形文化財 平成2年2月20日指定)[3]
  • 木造阿弥陀如来坐像(越谷市指定有形文化財 平成2年2月20日指定)[3]
  • 清浄院開山塚(越谷市指定史跡 昭和52年1月25日指定)[3]

交通アクセス

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b 由緒と歴史清浄院
  2. ^ a b 岩井茂 著『清浄院≪越谷≫(さきたま文庫56)』さきたま出版会、1999年、6-24p
  3. ^ a b c 越谷市の指定文化財越谷市

参考文献

  • 岩井茂 著『清浄院≪越谷≫(さきたま文庫56)』さきたま出版会、1999年

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