深見寅之助
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/05 21:04 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動深見 寅之助(ふかみ とらのすけ、1877年〔明治10年〕11月2日 - 1928年〔昭和3年〕3月6日)は日本の政治家。東伯方村村長、愛媛県議会議員、愛媛県議会議長。衆議院議員。
総理府局長を勤めた深見吉之助は長男。
伯方島で江戸自体以前より製塩業を営む家に生まれる。幼くして今治の漢学者・菅周庵に師事し、9歳にして宇和島藩藩主伊達宗紀の前で複数回にわたって書を披露した記録が残る。今治市伯方町の三島神社には9歳の書「敬神愛国」の四字額が今も神前に掲げられている[1]。
愛媛で初めてガスが灯された明治45年から遅れること2年、大正2年東予を営業区域とする今治瓦斯(後の四国ガス)を設立し、愛媛の近代化に貢献した[2]。更に、伊予鉄バスの祖となる愛媛自動車を創立し、松山・今治・西条間を結ぶバスの営業を通じて東予に初めて文明の交通手段をもたらした[3]。
実業界で活躍する一方、明治37年に東伯方村村長となり村政に尽力。明治40年には愛媛県議会議員に当選し、4期の在任期間中に2度、愛媛県議会議長を務めた。
大正9年には第14回衆議院議員総選挙に愛媛県第3区(越智郡・周桑郡)から出馬し、村上紋四郎を破り、政友会に所属して1期在任。その後も政友会愛媛県支部の顧問として県政界に重きをなした。
出典
- ^ “森琴石「響泉堂」 関連資料(か~こ)”. www.morikinseki.com. 森琴石.com. 2018年8月30日閲覧。
- ^ “愛媛県史 社会経済4 商 工(昭和62年3月31日発行)” (日本語). www.i-manabi.jp. 愛知県生涯学習センター. 2018年8月30日閲覧。
- ^ “愛媛県史 地誌Ⅱ(東予西部)(昭和61年12月31日発行)” (日本語). www.i-manabi.jp. 愛知県生涯学習センター. 2018年8月30日閲覧。
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