海軍大学校受験について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 09:06 UTC 版)
「野村吉三郎」の記事における「海軍大学校受験について」の解説
野村は海軍大学校甲種学生の履歴を持たない。帝国海軍の海軍大将のうち、昭和に入ってから海軍大将に親任された者32名のうち、海大甲種学生の履歴を持たないのは野村を含め3名のみである。これについて、野村が「海大へ行ったって、誰が俺に教えるというんかい」と豪語して、海大甲種学生の入校試験を受けなかったためである、という有名な挿話がある。しかし実際には、野村は1907年(明治40年)に海大甲種学生を受験し、優秀な成績で合格していた。海外に海軍士官を派遣する予算にたまたま余裕があったため、野村がオーストリアに派遣されることとなり、野村の海大入校が沙汰止みとなったものである。
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