浜田到とは? わかりやすく解説

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浜田到

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/14 10:19 UTC 版)

浜田 到(はまだ いたる、1918年6月19日 - 1968年4月30日)は、日本の歌人詩人医師[1]ロサンゼルス出身[1]

略歴

1912年、農園を経営していた両親が移住していたロサンゼルスに生まれ[1]、4歳のとき帰国[2]。両親の出身地である鹿児島県国分市(現・霧島市)に育つ。鹿児島県立第一中学校(現鹿児島県立鶴丸高等学校)在学中に短歌を始め、旧制姫路高等学校、旧制岡山医科大学を卒業[3]

1935年に、一中の教員であった安田尚義が主宰する潮音系短歌雑誌『山茶花』に短歌作品を発表[1]。異色ある作品として注目される。以後、『歌宴』『工人』を経由。

1944年に岡山医科大学卒業後、鹿児島市内の済生会病院に勤務(内科医[1]

1951年、中井英夫に見出され『短歌研究』8月号の「モダニズム短歌特集」に塚本邦雄らとともに寄稿、1960年には塚本邦雄、寺山修司山中智恵子菱川善夫らとともに同人誌「極」に参加。「浜田遺太郎」名義で詩も書き、木原孝一に評価される[3]

1968年4月30日、往診先で酒を振る舞われ、帰路に自転車で転倒し、側溝に落下して頭の骨を折って事故死(49歳)[4]。死後翌年、旧『歌宴』同人たちの手により歌集『架橋』が出版され、1971年には『浜田遺太郎詩集』も刊行される[1]

2024年より霧島市で浜田到顕彰きりしま短歌大会が開催されている[5]

著書

  • 歌集『架橋』1969年、白玉書房
  • 詩集『浜田遺太郎詩集』1971年、昭森社

脚注

  1. ^ a b c d e f 『現代歌人文庫 浜田到歌集』国文社、1980年1月30日、背表紙頁。 
  2. ^ ことばみがいた鹿児島の「詩人(うたびと)」、浜田到:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2021年2月23日). 2024年8月26日閲覧。
  3. ^ a b 企画展「孤高の詩人(うたびと) 浜田到」(2021.2.17~2021.5.10) - かごしま近代文学館・かごしまメルヘン館”. かごしま近代文学館・かごしまメルヘン館 - 子どもから大人まで 文学の世界にあそぶ (2020年9月17日). 2024年8月26日閲覧。
  4. ^ 『浜田到作品集』青磁社、2025年2月1日、332頁。 
  5. ^ 浜田到顕彰きりしま短歌大会 | 短歌大会応募作品募集”. 浜田到顕彰きりしま短歌大会. 2024年8月26日閲覧。



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