浅田和男
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浅田 和男(あさだ かずお、1939年 <昭和14年> 10月26日 - 2003年 <平成15年> 3月28日)は、日本の実業家。位階は正四位。漢方医の浅田宗伯の子孫。
経歴
東京都出身[1]。1963年に慶應義塾大学工学部を卒業し、日本電信電話公社に入社[1]。1992年6月に日本電信電話取締役に就任し、1996年6月に常務、1997年6月に副社長を経て、1999年7月から2002年6月までに西日本電信電話の初代社長を務めた[1]。2001年から1年間だけ関西経済同友会代表幹事を務めた[2][1]。
2003年3月28日、肺炎のため死去[3]。63歳没。死没日付をもって正四位に叙され、勲二等瑞宝章を追贈された[4]。
脚注
- ^ a b c d 興信データ株式會社 2003, あ94頁.
- ^ 歴代代表幹事名簿 | 一般社団法人 関西経済同友会
- ^ 2003年 3月28日 日本経済新聞 大阪夕刊 p9
- ^ 平成15年 2003年5月12日付 官報 本紙 第3603号 5頁
参考文献
- 興信データ株式會社『人事興信録 第42版 上』興信データ、2003年。
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